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華厳寺
華厳寺(けごんじ)は、京都府京都市西京区にある臨済宗の寺院である。山号は「妙徳山」(みょうとくさん)。本尊は大日如来。正式名称は「華厳寺」であるが、スズムシを四季を通して飼育しているため、通称「鈴虫寺」(すずむしでら)と呼ばれている。
様々な種類の竹を集めた庭園や、わらじをはき、願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」、僧侶による参拝者への茶菓のもてなしと鈴虫説法等も有名。近年は縁結びのパワースポットとしても注目され、婚活成就、良縁、恋愛成就、縁結びを願う人々が大勢訪れる。
鈴虫寺の黄色いお守りを持っていると、幸福地蔵が自ら草鞋履きで歩いてやってきて、願い事を1つかなえてくれると言われている。諸願成就のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市西京区松室地家町31
地主神社
地主神社(じしゅじんじゃ)は京都府京都市東山区にある神社である。 良縁、商売繁盛、家内安全、開運招福のご利益があるとされています。
清水寺の清水の舞台を出て直ぐ左手にある神社で、江戸時代までは清水寺の鎮守社であった。大国主を主祭神とし、縁結びの神さまとして若い女性やカップルに人気のスポットである。
地主神社には、本殿前10メートルほど離れてたつ、ひざの高さほどの2つの守護石恋占いの石がある。片方の石から反対側の石に目を閉じて歩き、無事たどりつくことができると恋の願いがかなうと伝えられる。
江戸時代の文献にも、「老若男女、終日嬉嬉としてたわむる」の記述が残り、縄文時代の遺物とも言われる。
恋愛のパワースポットとしては西日本で最も挙げられることの多い神社である。
また、こずちは良縁・開運・厄除け、おなかは安産・子宝、福袋は金運・商売繁盛など、撫でる箇所によってご利益を授けてくださるという「撫で大国」がある。
住所 京都府京都市東山区清水一丁目
禅林寺
禅林寺(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。
本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んであった。
住所 京都府京都市左京区永観堂町48
二条城
二条城(にじょうじょう)は京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城である。京都市街の中にある平城で、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは、徳川氏によるものである。城跡全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されている。
徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。金運にご利益があるとされています。
住所 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町
龍安寺
龍安寺(りょうあんじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。石庭で知られる。山号を大雲山と称する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
住所 京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
東寺
東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗総本山の寺院。「教王護国寺」とも呼ばれる。正式名として「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」の2つの名称がある。山号は八幡山。本尊は薬師如来。
弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
東寺亀と呼ばれている石碑の下にいる亀の像があり、パワースポットと言われている。この亀の頭を手で撫でてその手で自分の頭を撫でると良いことがある、という。
住所 京都市南区九条町
高台寺
高台寺(こうだいじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。開運、出世、健康長寿、災難厄除、恋愛成就、学問成就などのご利益があるとされています。
豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。
高台寺塔頭の岡林院(こうりんいん)は、高台寺の塔頭の中でも最も古いもので、有名な茶室「忘知席」がある。この岡林院の門の脇にある「見るぞう 言うぞう 聞くぞう」の三地蔵がパワースポットだという。右手または両手で撫でてパワーが授かる。
住所 京都府京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原町526
八坂神社
八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町にある神社。かつての社名から祇園さんの愛称で呼ばれる。
7月の祇園祭(祇園会)で知られ、ほかに特殊神事として白朮(をけら)祭がある。旧社格は官幣大社。中世には二十二社の下八社のひとつとされた。慶応4年(1868年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていたのが、「八坂神社」と改められた。八坂神社を総本社とし、素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする神社が、日本全国に約2300社あるとされる。
末社に「美人になれるパワースポット」と言われる美御前社がある。近年は火の属性のパワースポットとしても注目される。無病息災・厄除け・災難除けなどのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区祇園町北側625番地
仁和寺
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院である。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇である。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。
皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。
御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。極楽浄土、涅槃に導いてくれるというご利益があるとされています。
住所 京都府京都市右京区御室大内33
貴船神社
貴船神社(きぶねじんじゃ)は、京都府左京区鞍馬貴船町にある神社。日本全国に約450社ある貴船神社の総本社である。
気の産まれる根源、が転じて気生根になったといわれる。元々は上賀茂神社の摂社だったらしい。
水神である高龗神(たかおかみのかみ)を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。
古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。
また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルや女性で賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる。
霊泉に浮かべると水の霊力によって文字が浮かんで見えてくるおみくじ「水占おみくじ」(または「水みくじ」)がある。付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。『運気上昇』『縁結び』『諸願成就』のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区鞍馬貴船町57
錦天満宮
錦天満宮(にしきてんまんぐう)は、京都市中京区錦小路通新京極にある神社である。天満天神(菅原道真)を祀る。
京の台所として知られる錦市場の東の端にあり、学業に加え商売繁盛も御利益に謳われている。
社務所前に「からくりみくじ」がある。人が近づくと神楽が鳴り出し機械仕掛けの獅子舞がはじまり、硬貨を投入して御籤(みくじ)の種類(英文、和英対訳、子ども用など六種類)を選ぶと、神楽に合わせて獅子が舞いながら御籤を届ける仕掛けが人気となっている。
撫でると御利益のあるという「撫で牛」があり、撫でられてすぎてツルツルになっている。
境内末社として、源融を祀る塩竈神社・日乃出稲荷神社・白太夫神社などがある。
境内には「錦の水」と呼ばれる湧水が湧き出しており、毎日昼夜問わず地下百尺からこんこんと清水が湧き出ている。頭の神様、天神さんの霊験あらたかな御神水といわれ、厄除けや知恵、学問成就のご利益が授かるとされている。
鳥居の両側がビルに突き刺さっており、珍スポットとして紹介されることもある。学業成就・招福・厄除けなどのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市中京区新京極通四条上る中之町537
鞍馬山
鞍馬山(くらまやま)は、京都府京都市左京区にある山。標高584m。
霊山として知られ、密教による山岳修験の場として栄えた。延暦15年(796年)、あるいは宝亀元年(770年)には、鞍馬山の南中腹に毘沙門天を本尊とした鞍馬寺が創建された。また、牛若丸(後の源義経)の修行の地であり、「鞍馬天狗」で知られている。古くより、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られた。「更級日記」にも鞍馬山の春秋の姿が描写されている。病気平癒、商売繁昌、縁結びのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区
鞍馬寺
鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある仏教寺院。宗派はもと天台宗に属したが、1949年以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。山号は鞍馬山。
開基(創立者)は、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)とされている。本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。
鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、大佛次郎の小説『鞍馬天狗』でも知られる。新西国十九番札所である。なお、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっている。
五月満月祭(ウエサク祭)が有名。ウエサク祭は、仏陀が生まれたとき、悟りを開いたとき、そして入滅のとき、全てがヴァイシャーカ(Visakha)月(インド歴第二月)の第一満月の夜であったという伝承に基づいた祭。旧暦の4月15日のあとの満月に行われる。天界と地上の間に通路が開ける日と言われる。
正殿前の六芒星(金剛床)がパワースポットと言われ、その中心に立つと気を受けると言われている。
本殿金堂へ至る石段途中にある転法輪堂(てんぽうりんどう)も隠れパワースポットだという。転法輪堂は、ご先祖に感謝の祈りを捧げる道場で、1丈6尺の阿弥陀仏が安置されている。重怡上人(じゅういしょうにん)が平安時代に、13年間堂内に籠り毎日十二万遍の弥陀宝号を唱え続け、六万遍の弥陀宝号を書いて法輪に納めたといわれている。「大己貴命(おおなむちのみこと)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」が祀られており、病気平癒、商売繁昌、縁結びのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
頂法寺
頂法寺(ちょうほうじ)は、京都市中京区にある天台宗系単立の仏教寺院。山号は紫雲山。本尊は如意輪観音(秘仏)。西国三十三箇所第十八番札所。本堂が平面六角形であることから、「六角堂」の通称で知られる。華道の家元・池坊の発祥の地としても知られる。願い事を思いのままに叶えるご利益があるとされています。
六角堂には次のような故事が残る。昔、嵯峨天皇が后を求めていたところ、ある日の夢枕で「六角堂の柳のもとに行くように」とのお告げを受けた。嵯峨天皇がお告げどおりに行ってみると、そこに絶世の美女がおり、その方を后に迎えた。
この話から、「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」という噂が広がり、いつの頃からかこの柳は「縁むすびの柳」と呼ばれるようになった。現在では、柳の枝2本におみくじを結びつけてお願いすると良縁に恵まれるといわれている。
住所 京都府京都市中京区
清水寺
清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山と称する。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。
清水寺は、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地で、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。
思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と言うが、清水寺の古文書調査によれば、実際に飛び降りた人が1694年から1864年の間に234件に上り、生存率は85.4パーセントであった。明治5年(1872年)に政府が飛び降り禁止令を出し、柵を張るなど対策を施したことで、下火になったという。
古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。
本堂の東側の階段を下りて左手にある三筋の滝「音羽の滝」が特にパワースポットとして知られる。この清水を飲んだり滝に打たれたりすることでご利益があるとされている。向かって右から健康、美容、出世(観光用に言われているのは健康・学業・縁結び)となっている。
三種類全部飲むと、欲深いということになりご利益が消えてしまうとも言われる。開祖である行叡居士・開山延鎮上人の滝行を今に伝えて水垢離(みずごり)の行場となり、また地元の人々がお茶の水汲み場として使い続けている。
また、仁王門のすぐそばにある善光寺堂には首が360度回る「首振り地蔵さん」が祀られており、このお地蔵様の首を願いのある方向に向けて願うとその願いが叶うと言われている。金運や商売繁盛には、お地蔵様の首を回して祈願すると「商売がうまく回る」という。
本堂舞台の入り口附近に弁慶の鉄下駄と錫杖がある。持ち上げるとご利益があるという。本当は、鍛冶屋が仕事中に鉄の破片が目に入り、本来なら失明するところを観音様のご利益で助かり、そのお礼に寄進したものだ、とも言われる。
塔内に子安観音(千手観音)が祀られている子安塔は、古くから安産の祈願所として信仰を集めている。聖武天皇・光明皇后もここで祈願し、後の孝謙天皇を安産にて無事授かったという。また牛若丸(源義経)の母・常盤が、3人の子供(今若・乙若・牛若)を連れて京を逃れる際、子安観音(千手観音)に子供達の無事を祈願したとも伝えられる。無病息災・立身出世・財福・良縁成就・子授けなどのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区清水1-294
建仁寺
建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。
京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。なお、しばしば日本最初の禅寺と言われるが、これは間違いで博多の聖福寺が最初の禅寺である。
塔頭の一つ禅居庵(ぜんきょあん)がパワースポットと言われる。
禅居庵は、建仁寺第23世・清拙正澄(せいせつしょうちょう、大鑑禅師)が晩年退隠された塔頭。摩利支天堂(まりしてんどう)とも呼ばれている。鎌倉時代の1326年、清拙正澄は鎌倉幕府第14代執権・北条高時の招きにより中国より日本へ渡った。その際に、自ら刻んだ摩利支天像を袈裟に包み持参したという。元弘年中に小笠原貞宗により堂宇が建てられ、創建された。
本尊は聖観音を安置する。摩利支天堂に開運と勝利の神、摩利支天を祀る。開運勝利の信仰がある。亥年生まれの守護神として知られる。勝利と開運などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区小松町584
賀茂御祖神社
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社である。通称「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」。式内社、山城国一宮、二十二社の一社。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称葵祭)で有名である。
上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
境内には原生林・糺の森(ただすのもり)、御手洗池(みたらしいけ、みたらしのいけ)がある。平成6年(1994年)12月25日に世界文化遺産としてユネスコに登録された。糺の森の「糺」とは、神が現れる場所を指すという。
糺の森には「鴨の七不思議」と呼ばれる伝承がある。そのうちの一つに相生社にある「連理の賢木」があり、3本のサカキのうち、2本が幹の中ほどで繋がっている神木を指す。その形態から縁結びの象徴となっており、連理の賢木が古くなり枯れると、後継となる新たなサカキが糺の森のいずこかに生じるという。
土用の丑の日周辺には「御手洗祭」が行われる。「足つけ神事」と呼ばれ、御手洗池に足を浸けて罪やけがれを祓い、これからの1年を無病息災を願う。
神の降臨の場である「水ごしらえ場」がパワースポットと言われている。この磐座は橋とも呼ばれ、伝承では竹内社や末刀社の神が降臨する処だという。
また「大炊殿」の中にある岩付近も強力なパワースポットだという。玉依媛命には縁結びをはじめ、子宝、安産、子育などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
晴明神社
晴明神社(せいめいじんじゃ)は、京都市上京区にある神社である。陰陽師・安倍晴明を祀る。一条戻橋のたもと(北西)の、安倍晴明屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。
本殿の北には、晴明井といわれる井戸があり、ここから湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力より湧き出たといわれ、無病息災のご利益があるといわれている。
伝承によれば千利休が茶会において、この井戸から汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もその茶を服されたと伝えられている。
この井戸は五芒星(晴明紋)を描き、その取水口がその星型の頂点の一つにあり、立春には、晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その年の恵方に取水口を向けるのが、慣わしとなっている。
「名づけの神様」として、市内の人々が赤ん坊の名前を付けてもらいに参拝することがある。
桃は陰陽道では魔除け、厄除けの果物とされているが、晴明神社には「厄除桃」がある。この「厄除桃」を撫でることで、自分の厄を桃にうつすことができ、厄除けになるという。また、桃の実をあしらった厄除けのお守りもある。病気や怪我をはじめとする、魔除け、厄除けのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市上京区堀川通一条上ル晴明町
伏見稲荷大社
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社である。稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされる。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神(しのおおかみ)を配祀して、五柱の神として祀る。稲荷神は農業の神であり、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全といったご利益があるとされる。
奥社奉拝所の奥に「おもかる石」という石がある。願いを念じて持ち上げた時、重さが予想していたより軽ければ願いが叶い、重ければその願いは叶わないといわれている。
また、奥社奉拝社から少し左に「膝松さん」と呼ばれる松がある。枯れた松の根で左右ニ股になっていて、この木の根本をくぐると足腰の病などが治るといわれている。「根上りの松」とも呼ばれ、「ねあがり」の名から、給料や株の値上がりを願う人々の信仰も集めている。
毎年初詣の時期は近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める。家内安全、諸願成就、安産、万病平癒、学業成就などのご利益があるとされています。
住所 京都市伏見区深草藪之内町68
御金神社
御金神社(みかねじんじゃ)は、京都市中京区にある神社。金山毘古神、すなわち金山彦命(かなやまひこのみこと)を主祭神とする。天照大神、月読神(つきよみのかみ)も併せて祀る。金運アップにご利益があるとされています。
現在は、金色の鳥居など黄金色に飾られた神社で、お金を祭る神社として、資産運用や証券取引等の成功を願ったり、競馬競輪などでの勝利や、宝くじ等の当選を願う絵馬が大量に奉納されている。「おたから小判」というお守りがある。
住所 京都府京都市中京区西洞院通御池上る押西洞院町618番地
大豊神社
大豊神社(おおとよじんじゃ)は、京都市左京区の神社。鹿ケ谷・南禅寺一帯の産土神。「ねずみの社」と親しまれる。治病健康、福徳長寿、学業成就、縁結び、子授け安産などのご利益がある。
仁和3年(887)宇多天皇の御悩平癒祈願のために、贈正一位尚侍藤原淑子が勅命を奉じて、少彦名命を東山三十六峰、第十五峰目の椿ヶ峰に奉祀して創建されたという。後に応神天皇と菅原道真公が合祀された。
狛犬ならぬ狛鼠・狛鳶・狛猿がいることで知られる。これは大国主命が野火に遭われて命が危ない時、近くのネズミが洞穴に案内してくれ、命拾いをした伝説に基づく。神のお使いの猿は「魔が去る(サル)」、「何よりも勝る(サル)」とも言われる。 病気平癒、福徳長寿、無病息災で長寿、子授け安産のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町1
智恩寺
智恩寺(ちおんじ)は、京都府宮津市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天橋山(てんきょうざん)または五台山。切戸(きれど)の文殊、、九世戸(くせと)の文殊、知恵の文殊とも呼ばれる。学業成就、商売繁盛などにご利益があるとされています。
奈良県桜井市の安倍文殊院、山形県高畠町の亀岡文殊とともに日本三文殊のひとつとされる。本尊の文殊菩薩は秘仏とされる。正月三が日、1月10日、7月24日の年5日の開帳がある。
住所 京都府宮津市文珠小字切戸
籠神社
籠神社(このじんじゃ)は、京都府宮津市の天橋立の近くにある神社で、伊勢神宮が一時期置かれていた元伊勢の一つであり、元伊勢籠神社とも称する。別称 元伊勢根本宮、内宮元宮、籠守大権現、籠宮大明神。
社伝によれば、元々真名井原の地(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)に豊受大神が鎮座し、匏宮(よさのみや、与佐宮とも)と称されていた。『神道五部書』の一つの「豊受大神御鎮座本紀」によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移った。これによって、当社を「元伊勢」という。
真名井という社名は、境内に「真名井の水」という神水が涌き出ていることによる。緑(創造・発展)、黄(運勢全般)、赤(知性・名誉)、紺(健康・子孫繁栄)
住所 京都府宮津市字大垣430
木嶋坐天照御魂神社
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は京都市右京区太秦にある神社である。祈雨の神として信仰を集めている。通称木嶋神社(このしまじんじゃ)。また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。学問の神、祓いの神のご利益があるとされています。
現在では祭神を天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命としている。木嶋坐天照御魂神社は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになる。この「天照御魂神」がどの神を指すのかについては諸説ある。『葛野郡神社明細帳』では上述の神々の他に爾々芸命の名を挙げている。『神社志料』では天火明命のこととしている。関西には、ほかにも「天照(アマテル)」のつく神社がいくつかあり、元々はそれぞれ当地の太陽神を祀っていた神社と考えられている。続日本紀などの国史には「木嶋神」の名前で登場する。
「木嶋」という名前は、原野に茂る木々の様が「木の島」のようであったからとされる。社殿の西にかつては湧水が豊富であった「元糺の池」(もとただすのいけ)という池の中に三柱鳥居(三ッ鳥居)がある。柱が三本で三正面、上からの形は三角形となっている鳥居は珍しい存在であり京都三鳥居の一つとされている。これも起源不明ながら現存するものは天保2年(1831年)に再興されたものである。
住所 京都府京都市右京区太秦森ケ東町50-1
出雲大神宮
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は、京都府亀岡市千歳町にある神社。 式内社(名神大社)、丹波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「出雲神社」。別称として「元出雲」や「千年宮」ともいわれております。
大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主祭神と称え祀り、丹波國に御鎮座なされています。(他に天津彦根命・天夷鳥命を祀るという説もあります)。
殊に三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。 天地結びの神、即ち縁結びの由緒は叉ここに発するもので、俗称元出雲の所以であります。
恋愛運がアップすると言われるパワースポットです。日本一の縁結びの御利益が得られます。
住所 京都府亀岡市千歳町出雲無番地
天橋立神社
天橋立神社、別称・橋立明神は、京都府宮津市の神社。
かつて近海を荒らした悪竜が文殊菩薩により改心して善龍となり、後に八大竜王としてここに祀られたとされる。
浜辺で拾った小石を天橋立神社の鳥居の上に載せると恋が叶うと言われている。
住所 京都府宮津市文珠538
天橋立
天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂嘴(さし)である。恋愛成就のご利益があるとされています。
古風土記によると、男神イザナギのみこと命が、イザナミの命の住む久志備の浜の北にある真名井原に、 天上から通うために梯子をかけた。イザナギの命はこの梯子を天浮橋と名づけ、天上と地上を往来した。
ある時、地上におりたイザナギの命がうっかり一夜をすごしてしまったうちに、天浮橋は地上に倒れてしまった。天浮橋は天橋立となり、天上の神々と地上の人間を結ぶ梯子はなくなってしまった。しかしその後、神と人の絆はかえって強くなり、神仏を求めて白砂青松の不思議の道を訪ねる人があとを絶たなくなったという。
住所 京都府宮津市
一条戻橋(いちじょうもどりばし)は、京都市上京区の、堀川に架けられている一条通の橋である。単に戻橋ともいう。
794年の平安京造営のときに架橋され、橋そのものは何度も作り直されているが、現在でも同じ場所にある。一条通は平安京の一番北の通りであり、洛中と洛外を分ける橋でもあった。
「戻橋」という名前の由来については、『撰集抄』巻七で次のように伝えられている。延喜18年(918年)12月、漢学者・三善清行の葬列がこの橋を通った際、父の死を聞いて急ぎ帰ってきた熊野で修行中の子・浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに一時生き返り、父子が抱き合ったという。
『平家物語』剣巻には次のような話がある。摂津源氏の源頼光の頼光四天王筆頭の渡辺綱が夜中に戻橋のたもとを通りかかると、美しい女性がおり、夜も更けて恐ろしいので家まで送ってほしいと頼まれた。綱はこんな夜中に女が一人でいるとは怪しいと思いながらも、それを引き受け馬に乗せた。すると女はたちまち鬼に姿を変え、綱の髪をつかんで愛宕山の方向へ飛んで行った。綱は鬼の腕を太刀で切り落として逃げることができた。腕は摂津国渡辺(大阪市中央区)の渡辺綱の屋敷に置かれていたが、綱の義母に化けた鬼が取り戻したとされる。
戻橋は橋占の名所でもあった。『源平盛衰記』巻十によれば、高倉天皇の中宮建礼門院の出産のときに、その母の二位殿が一条戻橋で橋占を行った。このとき、12人の童子が手を打ち鳴らしながら橋を渡り、生まれた皇子(後の安徳天皇)の将来を予言する歌を歌ったという。その童子は、陰陽師・安倍晴明が一条戻橋の下に隠していた十二神将の化身であろうと書かれている。安倍晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻がその顔を怖がったので、晴明は十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという。
「戻橋」という名前から、嫁入り前の女性や縁談に関わる人々は嫁が実家に戻って来てはいけないと、この橋に近づかないという習慣がある。逆に、第二次世界大戦中の応召兵とその家族は、無事に戻ってくるようにと願ってこの橋に渡りに来ていた。「あの世とこの世の境目」という意味があるも言われる。
住所 京都府京都市上京区堀川下之町
蛇塚古墳(へびづかこふん)は、京都府京都市右京区太秦(うずまさ)にある古墳。京都府下でも最大の横穴式石室をもつ前方後円墳である。
墳丘の長さは約75メートルあったと推測されているが、封土は失われて後円部の石室のみが露出している。石室の全長は17.8m、玄室の長さ6.8m、玄室の高さ5.2mで明日香村の石舞台古墳に匹敵する大きさである。床の部分の面積で比較すると日本で第4位の規模である。石室部分のみ国の史跡に指定されている。
住所 京都府京都市右京区太秦面影町
間人(たいざ)の立岩
間人(たいざ)の立岩は、京都府京丹後市間人の竹野川河口の砂州で繋がった、周囲約1kmの岩。どっしりと大きな柱状節理の玄武岩で、周囲は約1kmにも及ぶ。聖徳太子の弟、麻呂子親王がこの岩に鬼を封じ込めたとの伝承が残る。岩の前には聖徳太子と間人皇后の母子像が立つ。
住所 京都府京丹後市丹後町間人
保津峡
保津峡(ほづきょう)は、京都府亀岡市から京都市右京区嵐山の渡月橋に至る大堰川(保津川)の景勝地。保津川は渡月橋から桂川となる。府立保津峡自然公園に含まれる。
住所 京都府亀岡市
大文字山は五山送り火で知られる京都市の山。もともとは一帯の山塊を「如意ヶ岳」と呼んでいたが、現在は火床がある西側の前峰(465.4m)を「大文字山」と呼び、最高点である主峰(472m)を「如意ヶ岳」と呼ぶ。特に「左大文字」と区別するときは「右大文字」・「右の大文字」ともいう。大の字の中央には大師堂と呼ばれる、弘法大師を祀った小さなお堂がある。
住所 京都府京都市左京区浄土寺七廻り町
比叡山
比叡山(ひえいざん)とは、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。
京都の鬼門にあたる北東に位置することもあり、王城鎮護の山とされた。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。
東山三十六峰に含まれる。別称に叡山、北嶺、天台山、都富士などと呼ばれる。
住所 京都府京都市
傘松公園
傘松公園(かさまつこうえん)は、京都府宮津市にある公園。天橋立の北西にあり、展望台は観光名所のひとつになっている。恋愛成就にご利益があるとされています。
傘松公園から観る天橋立は「斜め一文字」と呼ばれ、股のぞきをして観ることもできる。股のぞきをすると、天地が逆転し、まさに天にかかる橋のようにみえる。公園は山の上にあるが、さらに徒歩で3分ほど登ると、「傘松」という名の松がある『股のぞき発祥の地』がある。パワースポット「かさぼう地蔵」が人気を集めている。また、開運のかわらけ投げもある。
住所 京都府宮津市大垣
市比賣神社
市比賣神社(いちひめじんじゃ)は、京都市下京区の神社。「市比売さん(いちひめさん)」は女性の守り神として知られている。このことから「女人厄除け」の神社として厄年を迎えた女性の厄払い、また良縁、子授け安産の祈願に来られる女性やカップルが多い。
平安時代、堀川の西、七条の北(現在の西本願寺)辺りは平安京随一の官営市場東市があったことから、市場商売の守護神とされた。
境内には「天の真名井」という一願成就の井戸がある。平安時代以来、皇室において御子ご誕生の折には、この井戸から汲み上げた水が「産湯」に使われていたという。良縁・子授け・安産などにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市下京区六条通河原町西入本塩竈町593
御香宮神社
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)は京都市伏見区にある神社である。通称御香宮、御幸宮。伏見地区の産土神である。安産にご利益があるとされています。
神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀る。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。また社務所内に小堀政一(遠州)が伏見奉行所内に作ったとされる庭園が移設されている。
初めは「御諸神社」と称した。創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。
この水には、昔、諸国をめぐってきた猿曳が息も絶えだえにここにたどり着いた時、肩に乗っていた猿にこの湧水を飲ませるところたちまち元気になった、という伝承も残っている。徳川家代々の産湯にも使われた霊水。井戸は明治時代に枯れてしまったが、1982(昭和57)年に復元された。1985年(昭和60)には環境庁の「名水百選」にも選ばれている。
住所 京都府京都市伏見区御香宮門前町
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基(創立者)は空也(くうや)。西国三十三箇所第17番札所。
踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。木造空也上人立像などの重要文化財を所蔵する。「才」が「財」の音に通じることから、「弁財天」とし日本では財宝神としておまつりされています。勝ち運のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町
車折神社
車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨にある神社である。社名は「車裂」「車前」とも書いた。商売繁盛や金運、恋愛運や厄除けなどのご利益があるとされています。
社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。
境内社に天宇受売命(あまのうずめのみこと)を祀る芸能神社(げいのうじんじゃ)があり、芸能・芸術の分野で活動する人々より強い崇敬を受けている。天宇受売命は、天照大神が天岩戸に閉じこもった時、岩戸の前でにぎやかに踊って天照大神を誘い出したことで知られる芸能の祖神である。
独特な形の石柱が目を引く清めの社がある。参拝者は、この清めの社を参拝し心身を浄化してから、社務所受付にて祈念神石を授かり、本殿の前で祈念神石を手に持ち、心中で願い事を念じる。
また、御祭神の清原頼業(きよはらのよりなり)の名にちなみ、金の「より」がよく、商売が「なり」たつ、金運・商売繁盛のご利益があるともいわれる。
住所 京都府京都市右京区嵯峨朝日町23
出雲大神宮
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は、京都府亀岡市にある神社である。丹波国一宮。旧称は出雲神社。
「元出雲」の通称があり、背後に「千年山」という神体山があることから「千年宮」とも呼ばれる。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで杵築大社を称していたため、江戸時代末までは、出雲神社と言えば現在の出雲大神宮を指していた。
混同されがちだが、亀岡市下矢田町にある出雲大社教の出雲大社京都分院や島根県の出雲大社とは別法人の神社である。
神社右手の境内でマグマの接触変成岩層から湧き出ている「真名井の水」は名水であり、御神水と崇められてきた。長寿のご利益がある「真名井の水」や、良縁を結んでくれる「夫婦岩」などがある。
住所 京都府亀岡市千歳町千歳出雲無番地
賀茂別雷神社
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。通称「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」。強力な厄除、方除、開運、八方除、雷除、災難除、必勝、電気産業守護のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市北区上賀茂本山339
安井金比羅宮
安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は京都府京都市東山区にある神社である。「安井のこんぴらさん」で知られる。“悪縁を切り、良縁を結ぶご利益さん”で親しまれる人気のパワースポット。 絵馬の形をした『縁切り縁結び碑(いし)』は、縁切りや縁結び、復縁のご利益があるとされています。
金毘羅信仰に加えて、崇徳天皇の御神徳で良縁結びとともに悪縁切りでもご利益で名高い。悪縁は婚姻・恋愛だけでなく、人間関係全般に加えて、病気や不慮の事故、災難、悪運、悪習癖(過度の飲酒・喫煙・ギャンブル・悪癖など)、借金、犯罪なども包含しており、広く悪からの縁切りに霊験があるとして信仰を集めている。
安井金比羅宮の境内には、中央に裂け目の入った大きな「縁切り 縁結び石」がある。社務所で購入したお札(縁切り祈願の方は「断の御札」、良縁祈願の方は「叶の御札」)に願い事を書いて石に貼り、この石の穴を、悪運を切りたい人は表から、縁を結びたい人は裏からくぐるとご利益が得られるといわれている。
住所 京都府京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70
由岐神社
由岐神社(ゆきじんじゃ)は、京都市左京区鞍馬本町にある神社である。鞍馬寺の鎮守社である。通称「靫明神(ゆきみょうじん)」。
大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀る。火難除や縁結び、子授安産などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区鞍馬本町1073番
平安神宮
平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社である。旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。
1895年(明治28年)3月15日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会において、目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。当初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。博覧会の後は、建物はそのままに、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。
皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。平安京遷都の日である10月22日に時代祭が行われる。 縁結び、開運、商売繁盛、厄除け、学業成就などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区岡崎西天王町97
北野天満宮
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は京都市上京区にある神社である。通称、天神さん・北野さん。京都市民からは「てんじんさん」の愛称で呼ばれる。
毎月25日に縁日が開かれ、多くの参拝者や観光客で賑わう。菅原道真を主祭神とし、特に学問の神として知られ多くの受験生らの信仰を集めている。京都市が大学の町であることもあってか、掲げられている絵馬には、大学受験合格を祈願するものが多い。福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心となっており、当社から全国各地に勧請が行われている。
牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされているが、その理由については「道真の出生年は丑年である」「亡くなったのが丑の月の丑の日である」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など多くの伝承があり、どれが真実なのか、それとも全て伝承に過ぎないのかは今となっては良くわからないものの、それらの伝承にちなみ北野天満宮には神使とされる臥牛の像が多数置かれている。伝承のうち「牛が刺客から道真を守った」というのは和気清麻呂を祭神とする護王神社や和気神社の猪の伝承との関連性が強く認められる。
境内のなで牛は、頭をなでると頭がよくなるといわれ、特に受験生に人気がある。体の調子が悪い人は、自分の体の悪い部分と、牛のその同じ部分とを交互になでると良くなるという。
豊臣秀吉が1587(天正15)年に催した「北野大茶会(だいさのえ)」ゆかりの井戸「太閤井戸」がパワースポットとして注目されている。北野大茶会は、茶の湯は、貴族や武家など特定の者だけの楽しみではないという考えから、一般民衆にも大茶会への参加を呼び掛けたという。
北野天満宮では毎年12月1日、これにちなんで献茶祭が行われる。
そのそばには、京都市茶業組合が創立100周年記念として1974(昭和54)年11月に建立した北野大茶湯之址があり、傍らに君が代に登場する「さざれ石」がある。学芸成就のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市上京区馬喰町
野宮神社
野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都市右京区の嵯峨野にある神社である。祭神は野宮大神(天照大神 天照皇大神)。
伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社であると伝えられる。天皇が代替わりすると、未婚の皇女・女王の中から新たな斎王が卜定され、嵯峨野の清らかな場所を選んで作られた野宮に入って一年間潔斎した後に伊勢神宮へ向かった。その時の行列を「斎王群行」といい、現在では毎年10月に「斎王行列」としてその様子を再現している。
境内にある「お亀石」は、撫でると願い事が叶うと言われている。子宝・安産・商売繁盛にご利益があるとされています。
住所 京都府京都市右京区嵯峨野宮町1
石清水八幡宮
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は京都府八幡市にある神社。宇佐神宮(宇佐八幡宮)・鶴岡八幡宮と並ぶ日本三大八幡宮のひとつ。開運厄除、心願成就、学業成就、勝運などのご利益があるとされています。
八幡神八幡大神を祭神とする。本殿など建造物9棟が国の重要文化財に指定されている。
清和天皇が即位した翌年の859年(貞観元年)の夏、弘法大師空海の弟子であった南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折に「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受けた。これを受けて、その翌年の860年、清和天皇の命により社殿を建立したのを創建とする。
住所 京都府八幡市八幡高坊30
泉涌寺
泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内(やまのうち)町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。縁結びや恋愛運アップのご利益があるとされています。
平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)である。東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。
重要文化財の楊貴妃観音像が楊貴妃観音堂に安置されている。近年は恋愛成就・縁結びのパワースポットとして人気。
住所 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
三千院
三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。山号は、魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、開基は最澄である。体の病、心の病、社会の病をすべて治し、身心の健康にご利益があるとされています。
京都市街の北東山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にある。青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられている。
住所 京都府京都市左京区大原来迎院町540
日向大神宮
日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)は京都市山科区の三条通沿いにある神社。「京の伊勢」とも称される。地元では「ひゅうがだいじんぐう」と読まれる。厄除け・開運の強力なパワースポットで、縁結びのご利益があるとされています。
社伝によれば、第23代顕宗天皇の治世、勅願により筑紫日向の高千穂の峯の神蹟より神霊を移して創建された。社殿は神明造で、内宮、外宮がある。境内の奥には「天の岩戸」があり、「天の岩戸くぐり」は開運厄よけの御利益があるという。見事な紅葉でも知られる。
住所 京都府京都市山科区日ノ岡一切経谷町29
美御前社
美御前社(うつくしごぜんしゃ)は、京都市東山区の八坂神社摂社。美徳成就の祈願をする社で、美人の誉れ高き市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)、多岐理比売命(タギリヒメノミコト)、多岐津比売命(タギツヒメノミコト)の宗像三女神が祀られている。
宗像三女神のうちでも、ことに際立つ美人の神が市寸島比売命である。神仏が習合していた時代は七福神の一神である弁財天(弁天様)と同じ神として崇められており、さらには美貌の女神とされる吉祥天とも習合していた。これにより、財福、芸能、美貌の神としての信仰がある。
力水(祗園神水)と呼ばれる祇園の湧き水を飲み、美御前社に詣でると美人になるといわれている。
また、海上安全、交通安全の神としても信仰される。美容、芸能、財福のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区祇園町北側625
松尾大社
松尾大社(まつのおたいしゃ)は、京都市西京区にある神社である。旧称松尾神社。大山咋神と中津島姫命を祀る。中津島姫命は市杵島姫命の別名とされるが、異説もある。開拓・治水・土木・建築・商業・文化・寿命・交通・安産などのご利益があるとされています。
背後の松尾山(223m)に古社地があり、山頂に近い大杉谷に磐座とされる巨石がある。5世紀ごろ、渡来人の秦氏が山城国一帯に居住し、松尾山の神(大山咋神)を氏神とした。
大宝元年(701年)、勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営し、山頂附近の磐座から神霊を移し、娘を斎女として奉仕させた。以降、明治初期に神職の世襲が禁止されるまで、秦氏が当社の神職を務めた。境内に霊亀の滝がある。
境内の「相生の松」がパワースポットと言われている。雌雄根を同じくする樹齢350年を数える古木。昭和31、32年に天寿を全うし、現在は名松の大株を見ることができる。夫婦和合・恋愛成就の象徴といわれ、厚い信仰を集めている。
住所 京都府京都市西京区嵐山宮町3
京都御所
京都御所(きょうとごしょ)は、京都府京都市上京区にある皇居。鎌倉時代中期から明治時代初期まで歴代天皇が住んでいた宮殿。厄払い・悪運を取り除くなどのご利益があるとされています。
京都御苑は京都御所の周辺地域を指し、多くの木々が生い茂る公園内には、京都御所、仙洞御所、京都大宮御所、宮内庁京都事務所、皇宮警察本部京都護衛署などの宮内庁・皇宮警察関連の施設をはじめ、公家屋敷の遺構、公園の管理を行う環境省京都御苑管理事務所のほか、グラウンドやテニスコートもあり、市民の憩いの場になっている。
住所 京都府京都市上京区京都御苑3
貴船神社奥宮
貴船神社は、京都府京都市左京区の神社。奥宮は本宮の上流側700メートルの場所にあり、以前はここが本宮であった。闇龗神(くらおかみのかみ)を祭神とするが、高龗神と同じ神であるとされている。「丑の刻参り」で知られる。
昔、宇治の橋姫が貴船神社の奥宮に丑の刻(午前2時)参りをし、男に呪いをかけたという伝説があり、それをもとに書かれた謡曲『鉄輪』が広く知られ、丑の刻参りの跡らしき五寸クギが実際に残されている。
社伝によると、5世紀初めごろの第18代反正天皇の時代に、神武天皇の母・玉依姫(たまよりひめ)が黄船に乗って淀川、賀茂川(鴨川)、貴船川をさかのぼり、現在の貴船神社の奥宮あたりに船を留め、そこに社殿を建てたのが始まりとされる。
奥宮には玉依姫が川をさかのぼる時に乗ってきたといわれる黄船を、人目につかないように小石を積んで囲んだものといわれる「船形石」がある。航海にでる時は、この小石を戴いて携帯すれば海上安全に過ごせるそうで、航海のお守りといわれている。『運気上昇』『縁結び』『諸願成就』のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区鞍馬貴船町
南禅寺
南禅寺(なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。
日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。
石川五右衛門の台詞で知られる三門からの絶景、大方丈と小方丈など見どころも多い。
枯山水形式の代表作で江戸初期に活躍をした小堀遠州の作と伝えられる方丈庭園は、石を親と子の虎に見立て、虎の親子が川を渡っていく様子をあらわしていることから「虎の子渡し」と呼ばれている。
琵琶湖の水を運ぶために作られたレンガ造りの水路閣(すいろかく)も見もの。
住所 京都府京都市左京区南禅寺福地町86
神泉苑
神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区にある東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音・不動明王・弘法大師。二条城の南に位置し、元は平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)であった。心願成就のご利益があるとされています。
境内に「大歳神:歳徳神(さいとくじん)」を祀るが毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える点が他の神社仏閣と異なる。(日本国内で毎年向きを変える「大歳神」は唯一ここだけに見られる祀り方であると伝えられる)
放生池に架かる朱塗りの丸橋「法成橋」がパワースポットと言われている。本堂から善女竜王社に渡されたこの橋を、一つの願いごとを念じながら渡り、善女竜王へ詣ると、その願いは必ず成就するという。
また恵方社(えほうしゃ)もパワースポットとして注目されている。社殿は円形の基壇上に置かれた小祠で、その年の恵方の方角に向きを変える。歳徳神を祀る。
住所 京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町
御髪神社
御髪神社(みかみじんじゃ)は京都市右京区の神社。祭神は藤原鎌足の末孫、従五位藤原采女亮政之公で髪を副神として納祭する髪塚が有る。
藤原基晴卿が亀山天皇御代(1259年~1274年)に、宮中の宝物係として仕えていたが紛失した責任をとり、諸国行脚し文永五年に下関に居を構えた。その三男の藤原采女亮政之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)公が生計のために髪結職を始めたのが髪結業の始祖とされる。
髪塚は、願い事をしながら切った髪の毛を納めるとご利益があるといわれ、献納された髪の毛は神官によって祈拝が行われる。また、毎年御大祭日には、髪の毛への感謝の意をこめて業祖神奉祭(ぎょうそしんほうさい)と髪供養が行われる。理美容業界のみならず髪へのご利益を求める多くの人々が参詣する。
日本で唯一、髪の毛にご利益のある神社とされ、近年は髪のパワースポットとして人気を集めている。藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の子孫であり、日本における理美容業の祖と言われていることから、髪の毛に関するご利益があるとされています。
住所 京都府京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町10-2
今宮神社
今宮神社(いまみやじんじゃ)は、京都市北区紫野にある神社である。社格は旧府社。別名「玉の輿神社(たまのこしじんじゃ)」とも言われる。大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祀り、健康長寿や開運のご利益があるとされています。
現在の今宮神社は、994年(正暦5年)船岡山で御霊会が行われた後、1001年(長保3年)5月に現在の場所に神殿が造営されて3柱の神が祀られたのが始まるとされるが、現在の場所には創建年代については不明であるが、古くから疫病の神とされるスサノオを祀る社(現在摂社疫神社)があったという。御霊会は今宮祭とも呼ばれ、平安時代末から鎌倉時代初期にかけて禁止された時期もあった。1284年(弘安7年)には正一位の神階が与えられ、江戸時代には社領として50石が与えられた。
京都西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川3代将軍家光の側室となり、5代将軍綱吉の生母・桂昌院として従一位となったことから「玉の輿」と言うことわざが出来たとの説がある。桂昌院は京都の寺社の復興に力を注いだが、氏神である今宮神社の復興にも力を入れ社殿を修復して四基の鉾を寄進したと言われている。
「阿保賢さん(あほかしさん)」と呼ばれる座布団の上に乗った不思議な石がパワースポット。古くから「神占石(かみうらいし)」と言われており、この石を手の平で三度打って持ち上げると重くなり、再度願い事をしながら三度手の平で撫でた後、石を持ち上げて軽くなれば願い事が叶うという。「おもかる石」とも呼ばれる。
住所 京都府京都市北区紫野今宮町21
金閣寺
鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都市北区 にある臨済宗相国寺派の寺院。寺名は足利義満の法名にちなむ。通称金閣寺(きんかくじ)、山号は北山(ほくざん)。1994年に古都京都の文化財として世界遺産に登録された。
中心となる建築物である舎利殿を「金閣」、寺院全体を「金閣寺」と通称する。
後方に北山、大文字山を控え、そこからのエネルギーが金閣寺前の鏡湖池に蓄えられるという。金色の舎利殿は金運パワースポットとされている。
鏡湖池の上にある鏡池には中央に安民沢言われる小島があり、その縁にある白蛇の塚と呼ばれる五輪塔がもパワースポットと言われている。白蛇の塚の傍らに石像があり、その前に置かれたお椀に賽銭を投げ入れて見事お椀に入れば、弁才天が一つだけ願いを叶えてくださるという。
義満公がお茶をたてる時にその水を使ったという銀河泉、その奥の厳下水も水属性のパワースポット。
さらに奥にある龍門滝は、鯉が滝を登ると龍になるという「登竜門」の故事に因み、大地のパワーに溢れている。登竜門にちなみ出世のパワースポットとも言われる。
金森宗和が造営したという茶室・夕佳亭(せっかてい)や、平安時代の僧侶・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の供養塔など、見どころに尽きない。金運上昇、商売繁盛、開運招来、幸運招来、厄除け・方位除け、心願成就、縁結び、恋愛成就、健康祈願、学業成就、就職成就、交通安全、家内安全、ストレス封じ、ガン封じ、無病息災、交通安全などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市北区金閣寺町1
平野神社
平野神社(ひらのじんじゃ)は、京都府京都市北区にある神社である。開運、活力生成、生活安泰、生産力など、総合運・全体運・諸願成就のご利益があるとされています。
第一殿では染織・手芸・衣の神「今木神」が、第二殿では竈・台所・食事の神「久度神」が、第三殿では斉火の神「古開神」が、第四殿では比売神が、祀られる。今木神の今木は今来のことで、渡来人を意味する。
延暦13年(794年)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのに始まる。例大祭の平野祭には皇太子が奉幣する定めになっていた。また歴代天皇の行幸も円融天皇から後醍醐天皇までの17帝21回を記録するなど天皇家の崇敬も厚くそれに伴い、源氏、平氏、大江氏、菅原氏などの公家の氏神にもなった。中世には二十二社の一社となった。
神紋は桜で、今も桜の名所として名高い。平安時代の中ごろ花山天皇によって境内に数千本の桜が植えられたのが起源で、寛和元年(985年)4月10日に臨時勅祭が開かれ、平野桜祭りとして今に残る。
日本一の餅鉄(べいてつ)、別名「すえひろがね」があり、パワースポットとして人気を集めている。
住所 京都府京都市北区平野宮本町1
京都霊山護国神社
京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)は、京都府京都市東山区にある神社である。大願成就、厄除けなどのご利益があるとされています。
1868年6月29日(慶応4年5月10日)、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、招魂社である。靖国神社より古い歴史を持つ。
祭神の中には京都で暗殺された坂本龍馬も含まれており、境内に銅像が作られているほか、誕生日であり命日でもある11月15日には、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める龍馬祭が行われる(誕生日・命日は本来は旧暦11月15日だが、祭は新暦11月15日に行われる)。
龍馬のほかに、木戸孝允、中岡慎太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞、高杉晋作、宮部鼎蔵ら幕末勤王の志士1,356柱、明治以降の日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73、000柱が祭神として祀られている。
1997年(平成9年)、大東亜戦争(太平洋戦争)を記念した「昭和の杜」が設けられた。境内にはインド独立50周年を記念し、極東国際軍事裁判にて、ただ一人、被告全員の無罪を唱えたインド代表判事パール博士の顕彰碑などが建立されている。
住所 京都市東山区清閑寺霊山町1
敷地神社
敷地神社(しきちじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。わら天神の通称で知られる。安産・子授け・縁結び・子供の成長守護などのご利益があるとされています。
木花開耶姫命を主祭神とし、天日鷲命・栲幡千千姫命を配祀する。安産のご利益で知られる。
「わら天神」の通称は、安産御守として藁が授与されることに由来する。藁に節があれば男児、節がなければ女児が誕生すると言われている。近年は子宝パワースポットとして名高い。摂社・六勝稲荷神社は試験合格の神として信仰される。
住所 京都府京都市北区衣笠天神森町10
天龍寺
天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
龍のパワーに溢れ、特に庭園がパワースポットだと言われる。開運や厄よけ、安全祈願などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
平等院
平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。山号を朝日山と称する。
平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。
平安貴族の中で最も成功したと言われる藤原道長の出世力にあやかれる出世のパワースポットと言われる。金運アップなどのご利益があるとされています。
住所 京都府宇治市宇治蓮華116
鴨川
河川法における鴨川の起点は、京都市北区雲ケ畑の出合橋付近であるが、通例として、高野川との合流点より上流は賀茂川または加茂川と表記される。鴨川本流とは別に、京都市右京区の芹生峠を源とする貴船川と、京都市左京区の花脊峠を源とする鞍馬川がある。両者は貴船口で合流し鞍馬川となり、山幸橋で鴨川と合流し大きな流れとなる。
鴨川沿いには貴船神社などのパワースポットがある他、鴨川自体が眺めているだけで落ち着くスポットである。子宝、安産、子育などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市
岡崎神社
岡崎神社は、京都市左京区岡崎東天王町の神社。子授け、安産、厄除の神。子授けや安産、厄除けや良縁にご利益があるとされています。
付近一帯が野うさぎの生息地だったことから、うさぎが氏神様の使いとされ、安産・子授けの神として信仰されている。また、境内には全国的にも珍しい竜神様と呼ばれる雨ノ社があり、雨乞いの神様としても知られる。平安京の鎮護のため桓武天皇が四方に建立した社の一つで、都の東にあたるところから東天王と称される。可愛い「うさぎみくじ」もある。
住所 京都府京都市左京区岡崎東天王町51
慈照寺
慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にあり、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院。通称銀閣寺(ぎんかくじ)、山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。家内安全・開運招福などのご利益があるとされています。
足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されている。
住所 京都府京都市左京区銀閣寺町2
鞍馬寺
鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある寺。財運アップなどのご利益があるとされています。
奥の院魔王殿は、本殿から西の貴船神社へ抜ける山道の途中、奇岩の上にある小堂。650万年前に金星から地球に降り立ったという魔王尊を祀っている。現在の建物は1945年(昭和20年)の焼失後の再建。
住所 京都府京都市左京区京都府鞍馬貴船町
醍醐寺
醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)である。
古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。
伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。無病息災、合格祈願、厄除け、縁結恋愛、安産祈願、交通安全、商売繁盛、金運向上などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
河合神社
河合神社(かわいじんじゃ)は、京都府京都市左京区の賀茂御祖神社(下鴨神社)摂社。正式名称は鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそべ)神社で、賀茂社の社家に祀られていた屋敷神だったという。御祭神の玉依姫命(たまよりびめのみこと)は女性の守護神であり、女性の美への願いが叶うといわれる。
境内には「方丈記」の著した鴨長明の資料館と、長明が考案した「方丈の庵」とがある。また、境内に任部社(とうべのやしろ)があり、八咫烏命(やたからすのみこと)を祀っている。縁結びをはじめ、安産、育児、学業、長寿のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区下鴨泉川町
東福寺
東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区本町にある臨済宗東福寺派大本山の寺院。山号を慧日山(えにちさん)と号する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は、九条道家、開山(初代住職)は聖一国師弁円 円爾弁円(しょういちこくしえんにべんねん)である。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。
明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(たっちゅう、山内寺院)を有する大寺院である。頭痛、ぼけ封じのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区本町15丁目778
東本願寺
東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山の通称である。正式名称は、「真宗本廟」。
堀川七条に位置する「西本願寺」(正式名称「本願寺」)の東に位置するため、「東本願寺」と通称される。また真宗大谷派としても、「東本願寺」の通称を公式ホームページ・出版物などに用い、正式名称「真宗本廟」と併用している。他に、「お東」、「お東さん」とも通称される。
2010年現在の門首は、平成8年(1996年)に継承した大谷暢顯(淨如)である。
住所 京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754番地
知恩院
知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。詳しくは華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)と称する。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。厄払い、不安を取り除くなどのご利益があるとされています。
浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。濡髪大明神は、知恩院境内にある社で、方丈庭園の奥にある塔頭・勢至堂(御廟所)裏手に位置する。1633年(寛永10年)失火により知恩院の諸堂が焼失した際、徳川3代将軍家光の命により再建されたが、これにより住処を奪われた白狐のために建てられたと言われている。仕返しのために童子に化けて訪れた白狐が、ずぶ濡れになりながら説教を聞き、自分の過ちを悟ったことから、「濡髪」の名がつく。現在は「濡神さん」との呼び名で親しまれ、語感のゆえか、縁結びのご利益がある恋の神様として崇敬を集めている。
住所 京都府京都市東山区新橋大和大路東入3丁林下400
宇治上神社
宇治上神社(うじがみじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社。「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されている。
菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇を祀る。宇治神社と対をなす。
宇治上神社には、現存最古とされる平安時代後期の本殿が残っている。拝殿は鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、寝殿造の趣きを伝えている。
境内にある湧き水は桐原水と呼ばれ、宇治七名水の一つとされている。満願成就、学業成就、受験合格などのご利益があるとされています。
住所 京都府宇治市宇治山田59
三十三間堂
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都市東山区にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音である。
創建の翌年に堂僧が夢のお告げにより発見したという霊泉「夜泣き泉」がある。『古今著聞集』によると、「いつも冷たく、おいしくて、飲んでもお腹を痛めることのない『極楽井』で、どんなに汲んでも尽きず、汲まない時も余ることのない不思議な泉だ」とある。
この水の夜のしじまに湧き出す音が、人のすすり泣くように聞こえたことから「夜泣き泉」と呼ばれるようになった。
傍らにお地蔵さまが奉られ、このお地蔵さまの前掛けを持ちかえり、子供の枕に敷けば夜泣きが治るといわれている。頭痛封じにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区三十三間堂廻リ657
嵐山
嵐山(あらしやま)は京都府京都市の観光地。国の史跡および名勝に指定されている。縁結びや子宝にご利益があるとされています。
本来地名としては西京区(桂川の右岸)を指し、左岸は右京区嵯峨であるが、観光案内等では嵯峨地区を含めた渡月橋(とげつきょう)周辺全域を一まとめに嵐山と称する事が多い。
住所 京都府京都市
大徳寺
大徳寺(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある禅宗寺院で、臨済宗大徳寺派大本山である。山号を龍寶山(りゅうほうざん)と称する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿、法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭(たっちゅう、本山寺院の境内周辺にある関連寺院)が立ち並び、近世の雰囲気を残している。大徳寺は歴代多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。本坊および塔頭寺院には、建造物、庭園、障壁画、茶道具、中国伝来の書画など、多くの文化財を伝えている。時代劇のロケ地としてもよく使われる。
住所 京都府京都市北区紫野大徳寺町53
月読神社
月読神社(つきよみじんじゃ)は、京都府京都市西京区にある神社である。式内社(名神大社)で、現在は松尾大社摂社。壱岐の月読神社の御分霊を受けたもの。縁結び・恋愛成就、学問向上、海上交通安全・水難除、罪穢れとされています。
境内にある月延石(安産石)は、元は筑紫にあり、神功皇后が応神天皇を産む際にこの石で腹を撫でて安産したものと伝えられる。舒明天皇の時代に月読尊の神託によって当社に奉納された。安産の霊験があるといわれている。「戌の日」に安産の特別祈祷が行なわれている。
住所 京都府京都市西京区松室山添町15
広隆寺
広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦(うずまさ)にある寺院。宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。商売繁盛・学業成就・病気平癒などのご利益があるとされています。
帰化人系の氏族である秦(はた)氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子信仰の寺でもある。毎年10月12日に行われる牛祭は、京都三大奇祭として知られる。
住所 京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
船岡山
船岡山(ふなおかやま)は、京都府京都市北区に所在する山。古来景勝地として知られた。
標高111.7mと小さな丘だが、平安京の造都に際して北の基点となったとされる。平安京の玄武(北方)とされ、とりわけ船岡山の頂上に露出する自然岩の露頭「磐座」が基準となり、平安京が配置されたと言われる。
この「磐座」は、平安京以前から聖石として崇められていたとも言われる。
船岡山城の遺構が建勲神社および船岡山公園として整備されている。
住所 京都府京都市北区紫野北舟岡町
西本願寺
西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山。
西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山本願寺」。京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」・下京区)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。
境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が数多く残されており、平成6年(1994年)に国の史跡に指定され、同年12月にユネスコの文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されている。本願寺住職が浄土真宗本願寺派の門主となる。
住所 京都府京都市下京区門前町60
高山寺
高山寺(こうざんじ)は、京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある寺院。栂尾は京都市街北西の山中に位置する。高山寺は山号を栂尾山と称し、宗派は真言宗系の単立である。創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵である。「鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られる。境内が国の史跡に指定されており、また古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。渓流の近くも風水的に良いエネルギーに満ちている。
住所 京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8
青蓮院
青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院。
「青蓮院門跡」(しょうれんいんもんぜき)とも称する。山号はなし。
開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。現在の門主(住職)は、旧東伏見宮家の東伏見慈晃。
住所 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
城南宮
城南宮(じょうなんぐう)は、京都市伏見区にある神社である。「方除の大社」として知られている。
創立年代は不詳である。この地にあった式内社「真幡寸神社」に、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝える。平安遷都の際に国常立尊が併祀され、城(平安京)の南にあることから「城南神」と称された。白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部とされ、代々の天皇、上皇がしばしば行幸した。また、貴族の方違の宿所となり、京都御所の裏鬼門を守る神とされたことから、方除け、厄除けの神として信仰されるようになった。厄払いや家内安産のご利益があるとされています。
住所 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
養源院
養源院(ようげんいん)は、京都市東山区にある浄土真宗遣迎院派の寺院。蓮華王院(三十三間堂)の東向かいに位置する。
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために秀吉に願って成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として創建した。
養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。
本堂は、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされる。左右と正面の廊下の天井は血天井として知られる。
関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城攻防戦で鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し,最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるが、生々しさでは養源院が一番といわれる。崇源院の秀吉への憎しみを表しているといわれる。
住所 京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656
梨木神社
梨木神社(なしのきじんじゃ)は、京都府京都市上京区にある神社である。旧社格は別格官幣社。明治維新に大きく貢献した三條實萬(さねつむ)・三條實美(さねとみ)父子を祭神とする。境内の井戸の水は「染井の水」と呼ばれ、京都三名水の一つとされる。京都三名水(醒ヶ井・県井・染井)のうち、現存するのはここだけである。また境内には約500株の萩が植えられており、別名萩の宮とも呼ばれており、9月中旬~下旬には萩祭りがおこなわれる木の葉がハート形になっている桂「愛の木」がある。学業成就のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市上京区寺町通広小路上る染殿町680
護王神社
護王神社(ごおうじんじゃ)は、京都市上京区にある神社である。別称子育明神。
和気清麻呂と姉の和気広虫を主祭神とし、藤原百川と路豊永を配祀する。大正4年(1915年)、大正天皇の即位の際に広虫が合祀された。広虫が孤児救済事業で知られることから、当社は子育明神と呼ばれるようになった。
また護王神社は、狛犬の代わりに狛猪が置かれている。和気清麻呂が宇佐へ配流の際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説に由来する。「いのしし神社」の俗称もある。亥年の参拝者は例年よりも増加する傾向がある。
境内には狛猪のほかにも多くの猪に因むものがある。日本銀行券としてかつて発行されていた10円紙幣は、1890年から1945年まで発行されたものは一貫して和気清麻呂と護王神社が描かれたが、そのうち1890年に発行されたものは表面の枠模様の中に8頭の小さな猪が描かれ、さらに1899年に発行されたものは裏面に大きな猪が1頭描かれた。10円紙幣はその後1915年発行のものから猪が描かれなくなったが、その後も含めて和気清麻呂の肖像画が描かれた10円紙幣は長らく「いのしし」と俗称された。
手水場にある猪像の鼻を撫でると御利益がある、と言われている。
また、フィギュアスケートの高橋大輔選手ファンの「聖地」ともなっている。護王神社が足腰の守り神として知られることから、高橋選手のケガを知ったファンが回復祈願の絵馬を納めることになったという。
護王神社の境内には、樹齢百年を超え、護王神社の御遷座当時からあるといわれるかりんの木があり、「ぜんそく封じのご神木」として親しまれている。かりんの果実にはぜんそく封じの効用があるといわれ、かりんやかりん水飴を授与所で入手することもできる。京都市「名木百選」の一つ。健康安全・病気ケガの回復にご利益があるとされています。
住所 京都府京都市上京区烏丸通下長者町下る桜鶴円町385
藤森神社
藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、京都府京都市伏見区に鎮座する神社である。
5月5日に行われる駈馬神事や、菖蒲の節句の発祥地として名高い。6月から7月にかけて紫陽花園が公開され、3,500株にもおよぶ紫陽花が見もの。
菖蒲が「尚武」「勝負」を連想させることや、武神が多く祀られていること、また明治時代から第二次世界大戦終了まで周辺が軍用地であったことから、馬と武運の神社として信仰を集めた。現在は馬と勝負事の神社として知られている。また舎人親王を祀ることから学問、特に受験での勝運をもたらす神社とされる。
境内にある「不二の水」は「2つとないおいしい水」という意味で、武運長久・学問向上、勝運を授ける水として信仰されている。
本殿の東にある旗塚の横に「いちいの木」があり、この木にお参りすると腰痛が治るといわれ、新選組で有名な近藤勇も参拝したと伝えられている。社務所では、「いちいの木」のご利益が授かる腰痛除守もある。菖蒲は勝負に通じることから、勝ち運のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
長岡天満宮
長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)は、京都府長岡京市に鎮座する神社(天満宮)。市民からは「天神さん、長天さん」と呼ばれ親しまれている。
長岡京市はその昔、山城国乙訓郡長岡と呼ばれ、延暦3年(784)桓武天皇が平城京から都を移すため、長岡京の造営をされた所。長岡天満宮は、都の西南の外れに位置する。
文化事業の一環として4月下旬には「霧島コンサート」、8月下旬には「宵宮コンサート」が開催される。同コンサートはクラシックの生演奏に身近にふれる機会として、音楽好きの市民に親しまれている。学業成就・合格祈願などにご利益があるとされています。
住所 京都府長岡京市天神2-15-13
渡月橋
渡月橋(とげつきょう)は、京都府京都市の桂川にかかる橋である。橋北側は右京区、南側は西京区である。
北から渡月橋を渡ると、中之島(嵯峨中ノ島町)を経て嵐山の麓に至る。
住所 京都府京都市
本能寺
本能寺(ほんのうじ)は、京都府京都市中京区にある、法華宗本門流の寺院。本尊は日蓮が定めた久遠常住具足の「南無妙法蓮華経」の曼荼羅本尊とする。
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で知られる。
住所 京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
三室戸寺
三室戸寺(みむろとじ)は、京都府宇治市にある寺院。山号は明星山。本尊は千手観音。西国三十三箇所第10番札所。本山修験宗の別格本山。
次のような伝承がある。天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせた。犬養がその光を求めて宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見た。犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのが当寺の起こりで、当初は御室戸寺と称したという。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという。
昔、三室戸寺に観音詣でをしていた富右衛門という百姓が飼っていた牛が、大層弱々しい牛だった。その牛が観音様のご利益で立派な牛へと成長し、当時地域一番といわれた権兵衛の牛に勝ち、その後、富右衛門さんは牛の仲買人として成功したという。
この故事にあやかり、三室戸寺の本堂前には石で造られた大きな牛の像「宝勝牛」が狛犬のように鎮座している。大きく開いた口中には石の玉があり、これを撫でると勝運・金運がつくといわれている。「金運」「健康運」「福」にご利益があるとされています。
住所 京都府宇治市莵道滋賀谷21
吉田神社
吉田神社(よしだじんじゃ)は、京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山にある神社。健御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比売神の四神を祀る。節分祭で有名。貞観元年(859年)藤原山蔭卿が平安の鎮守神として藤原氏の氏神である奈良の春日社四神を勧請し創建された。ここ吉田には、古くから代々の社家、吉田家があった。朝廷に仕え陰陽寮にて占いのことを司る家柄で、吉田流神道の総家。「徒然草」で知られた吉田兼好も吉田家の一人である。
吉田神社は、「厄除け詣」の発祥の地とも言われ、2月2日~4日に行われる「節分祭」は、毎年50万人の参拝者が訪れる。2日の追儺式(鬼やらい)で、悪神を追い払う儀式が行われ、3日には無病息災をもたらすという火炉祭がある。境内に設置される直径5m、高さ5mもの巨大な八角柱型の火炉に、参拝者が持参した旧い神札がたくさん積み上げられ、焼き上げて浄化する。旧い神札だけでなく、用意されている人形に名前と数え年を書いて燃やしてもらう事で、体から全ての厄を消すことができるという。
住所 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30
皇大神社
皇大神社(こうたいじんじゃ)は、京都府福知山市大江町に鎮座する神社である。
元伊勢「但波(丹波)国乃吉佐宮」(『倭姫命世記』)の旧跡であるとの伝承から「元伊勢」を冠して称され、また特に皇大神宮(伊勢神宮内宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢皇大神宮」或いは「元伊勢内宮」とも称される。元伊勢としては、代表的な神社。
皇大神社の社殿は神明造であり、本殿の勝男木は十本、千木は内そぎで左右に棟持柱がある。ピラミッドそっくりの日室岳は、神霊降臨の神奈備で、禁足地になっている。夏至の日、日室岳の頂上に太陽が沈むところが、遥拝所からみえるという。この日室岳の下の、宮川渓谷には、天岩戸神社が祭られている。
住所 京都府福知山市大江町内宮217
実相院
実相院(じっそういん)は、京都市左京区岩倉にある仏教寺院。宗派は単立(元天台宗寺門派)、開基(創建者)は、静基(じょうき)、本尊は不動明王(鎌倉時代作の木像)。
門跡寺院(皇族や摂家出身者が住職を務める寺院)の1つである。岩倉実相院門跡とも呼ばれる。子授け・良縁・病気快癒などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区岩倉上蔵町121
大将軍八神社
大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)は京都府京都市上京区にある神社。素戔鳴尊を祭神とする。方除け・厄除けなどにご利益があるとされています。
平安京建設時、都の方除け守護として造営され、当初は大将軍堂と呼ばれたという。江戸期に入り大将軍社と改称、明治期に現名称へと変更された。本来の祭神は大将軍という。大将軍は陰陽道の方位神であり、とくに建築や転居、旅行などにおいて方角の吉凶を司る神であるため、長きにわたり民間の崇敬を集めた。明治の神仏分離令にて祭神は素盞嗚尊と改められた。社号の「八神社」は、陰陽道の暦神(八将神)を祀るところから来ており、後には素盞嗚尊の御子神八柱の意も重なっている。
住所 京都府京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
新熊野神社
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、京都市東山区の神社。御祭神は熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ)。「健康長寿」や「病魔退散」のご利益があるとされています。
後白河法皇が1160年(永暦元)に、仙洞御所(せんとうごしょ)の法住寺殿のなかに熊野神社を勧請し創祀された。1374年(応安7)、足利義満がここで能の勧進興行を行い、観阿弥・世阿弥が演能した。
住所 京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
赤山禅院
赤山禅院(せきざんぜんいん)は、京都市左京区修学院にある天台宗の寺院。延暦寺の別院(塔頭)の一つ。本尊は泰山府君(赤山大明神)。商売繁盛にご利益があるとされています。
京都御所から見て表鬼門の方角(東北)に当たるため、方除けの神として、古来信仰を集めた。拝殿の屋根の上には、御所の東北角・猿ヶ辻の猿と対応して、御幣と鈴を持った猿が安置されている。
比叡山延暦寺の千日回峰行においては、そのうち百日の間、比叡山から雲母坂を登降する「赤山苦行」と称する荒行がある。これは、赤山大明神に対して花を供するために、毎日、比叡山中の行者道に倍する山道を高下するものである。現在では、境内の福禄寿殿が、「都七福神」の一つとされている。また、紅葉の名所でもある。
住所 京都府京都市左京区修学院開根坊町18
成相寺
成相寺(なりあいじ)は、京都府宮津市にある寺院。山号は成相山。西国三十三箇所第28番札所。本尊は聖観世音菩薩。真言宗。704年(慶雲元年)、真応上人の開基である。元々は元伊勢籠神社(このじんじゃ)の神宮寺であった。
眼下に天橋立を南望する山上にある。そのため、当寺にたどりつくには、リフトかケーブルカーで山の中腹にある傘松公園までいき、そこから山門までは丹後海陸交通の運営する登山バスでいく。または、徒歩で登ることもできる。
住所 京都府宮津市成相寺339
志明院
志明院は、京都市北区雲ケ畑にある志明院(しみょういん)は、真言宗の単立寺院。通称岩屋不動。正式には岩屋山金光峰寺(きんこうほうじ)志明院。鴨川の源流近い雲ヶ畑の山中にある修験道場で、岩屋山不動教本山と称し不動明王を祀る。病気平癒にご利益があるとされています。
当山は650年(白雉元年)役の行者が草創。829年(天長6年)弘法大師が、淳和天皇の叡願により再興。本尊不動明王は淳和天皇の勅願に依り弘法大師の直作と伝えられる。
市の天然記念物に指定されている境内のしゃくなげ林は4月下旬から5月上旬が見頃。司馬遼太郎が好んだ山寺で、アニメ「もののけ姫」のタイトルもこの森から生まれた。
住所 京都府京都市北区雲ケ畑出谷町261
霊亀の滝
霊亀の滝は、京都市西京区の松尾大社境内、本殿の右後に位置する滝。恋愛成就・夫婦円満・立身出世などにご利益があるとされています。
松尾大社の背後にある松尾山は別名「別雷山(わけいかづちのやま)」と呼ばれて、その松尾山に源を発する霊亀の滝は、滝そのものがご神体となっている。落差約10mの二段になった段瀑で、水量はいつも少なめだが枯れることはない。
住所 京都府京都市西京区嵐山宮町3
おせきさん
幸神社(さいのかみのやしろ)は、京都市上京区の神社。平安京造営の際、御所の鬼門を護る役目として建てられた。御神体は「御石さん(おせきさん)」と呼ばれる石で、拝むと縁に恵まれて幸せが訪れるという。幸神社は何度も火事で焼けたが、この石だけは平安時代のまま残っていると言われる。この石にお願いすれば、良縁をとりもってもらえ、「足止めの願」をかけると、夫の遊び歩きが止まるという。昔は、この石を持ち上げれば願いが叶うといわれていたが、現在は囲いで囲まれて持ち上げることはできない。縁結びや方除けにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市上京区寺町通今出川上ル西入幸神町303
愛宕神社
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都市右京区の神社である。山城・丹波国境の愛宕山(標高924メートル)山頂にある。旧社格は府社。全国約900社の愛宕神社の総本社である。火難除けのご利益があるとされています。
旧称阿多古神社、通称「愛宕さん」。山城・丹波国境の愛宕山(標高924m)山頂に鎮座する。古くより比叡山と共に信仰を集め、神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺として知られた。
火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室などに貼られている。また、「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われる。上方落語には、「愛宕山」「いらちの愛宕詣り」という噺が存在する。
住所 京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1
豊国神社
豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。豊臣秀吉を祀る。勝ち運・仕事運・就職(就活)・転職にご利益があるとされています。
秀吉が大名として統治した地である大阪市の大阪城公園(中央区)や滋賀県長浜市、石川県金沢市のほか、出身地の名古屋市中村区にも豊臣秀吉を祀る同名の神社がある。
住所 京都府京都市東山区大和大路正面
龍の愛宕池
龍の愛宕池は京都府京都市右京区の嵐電嵐山駅前にある池。友禅染めが入ったポールの林に囲まれている。湧き出る水に手を浸すと、心に安らぎが得られ、幸せへと導いてくれるという。
住所 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺造路町
壬生寺
壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院である。本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。安産や健康、長寿、知恵、金運などにご利益があるとされています。
中世に寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。壬生寺は通称で、寺号を宝憧三昧寺、院号を心浄光院という。
住所 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町28
六道珍皇寺
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は大椿山。本尊は薬師如来。8月7-10日の六道詣り、小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸(寺宝展等の特別公開時を除き非公開)で知られる。通称六道さん。この付近が「六道の辻」であるとされる。病気平癒・厄除けのご利益があるとされています。
小野篁(おの の たかむら)は、平安時代前期の官人、学者、歌人。篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという。この井戸は、六道珍皇寺(死の六道)の他、京都嵯峨の福生寺(生の六道)にあったとされるが、福生寺は明治期に廃寺となっている。また六道珍皇寺の閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されている。
住所 京都府京都市東山区小松町595
瀧尾神社
瀧尾神社(たきおじんじゃ)は、京都府京都市東山区の神社。創建年代は不詳だが、「源平盛衰記」にその名が見える。天正14(1586)年10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座した。現在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、下村家(現在の大丸百貨店)の手により、は江戸後期の天保10(1839)年〜11年にかけて造立された。商売繫盛・出世開運・金運・財運向上のご利益があるとされています。
拝殿天井の全長8mとも言われる極彩色の木彫りの龍がパワースポットとして知られる。その鮮やかさの余り、当時の人々の間では「夜な夜な川へ水を飲みに行っている」「恐くて眠れない」と噂された。そのため、拝殿の天井に網を取り付けて龍を閉じ込め、人々の気持ちをしずめたという。
住所 京都府京都市東山区本町11丁目
白峯神宮
白峯神宮(しらみねじんぐう)は、京都府京都市上京区にある神社である。配流されてその地で歿した崇徳天皇・淳仁天皇を祀る。スポーツ上達や、芸事の上達、必勝祈願にご利益があるとされています。
白峯神宮の社地は、蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地である。摂社の地主社に祀られる精大明神は蹴鞠の守護神であり、現在ではサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神とされ、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多く、社殿前にはサッカーやバレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたボールなどが見られる。
「蹴鞠保存会」があり、毎年4月14日と7月7日に「蹴鞠」が開催される。「撫で鞠する」にちなんで鞠が埋まった「蹴鞠の碑」がある。サッカーの大事な試合の前には、勝利を願う神事が行われることがある。
住所 京都府京都市上京区今出川通堀川東入ル飛鳥井町261番地
宇治神社
宇治神社は、京都府宇治市の神社。学業成就や受験合格のご利益があるとされています。
日本書紀に「応神天皇の皇子で、兄である仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治で自殺した」と記されている、悲運の皇太子菟道稚郎子の等身大の坐像を祀っており、付近は菟道稚郎子が造営した桐原日桁宮跡と伝えられる。また、明治維新までは、宇治上神社と二社一体で、それぞれ、離宮上社、離宮下社と名付けられていた。
住所 京都府宇治市宇治山田1
笠置寺
笠置寺(かさぎでら)は、京都府相楽郡笠置町にある真言宗智山派の仏教寺院。山号は鹿鷺山(かさぎさん)。本尊は弥勒仏。開基は大友皇子または天武天皇と伝える。
歴史的に南都(奈良)の東大寺や興福寺などと関係が深く、解脱房貞慶(げだつぼうじょうけい)などの著名な僧が当寺に住したことで知られ、日本仏教史上重要な寺院である。また、境内は鎌倉時代末期、元弘の乱の舞台となったことで知られる。
笠置寺は磨崖仏(まがいぶつ、自然の岩壁に直接彫り刻んだ仏像)の巨大な弥勒仏を本尊とする寺で、平安時代以降、弥勒信仰の聖地として栄えた。笠置山は、標高は300メートルに満たないが、山中の至るところに花崗岩の巨岩が露出し、古くから山岳信仰、巨石信仰の霊地であったと推定されている。日本では太古から山岳、滝、巨岩、巨樹などの自然物が崇拝の対象とされ、巨岩は磐座(いわくら)などと呼ばれて、神の依代(よりしろ)、すなわち目に見えないカミの宿る場所とされていた。笠置山はこうした巨石信仰、山岳信仰が仏教思想と結び付き、山中の巨岩に仏像が刻まれ、次第に仏教寺院としての形を整えていったものと推定されている。
笠置寺の千手屈は、お水取りを始めた実忠和尚がここでの修行で感得されたと伝えられている。また、大仏殿建立の折り、木津川の水量が少なく資材運搬に支障が出た時に、実忠和尚がここで雨乞いの修法を行い大雨を降らせ無事大仏殿が建立できたという。この故事にちなみ、以後、大仏殿の修理の折には、ここで無事完成の祈願法要が執り行われるという。
住所 京都府相楽郡笠置町大字笠置小字笠置山29
神護寺
神護寺(じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺跡(ゆいせき)本山の寺院で、山号を高雄山と号する。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。商売繁盛のご利益があるとされています。
京都市街の北西、愛宕山(924メートル)山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、紅葉の名所として知られる。清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩いた先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの堂宇が建つ。神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院である。
住所 京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
智積院
智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥(げんゆう)である。縁結びのご利益があるとされています。
智山派大本山として、成田山として知られる千葉県成田市の成田山新勝寺、「川崎大師」の通称で知られる神奈川県川崎市の川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。
住所 京都府京都市東山区東瓦町964
須賀神社
須賀神社(すがじんじゃ)は、京都市左京区の神社。貞観十一年(869)創建。元は現在の平安神宮内にある西天王塚辺りにあり、西天王社と称し、東天王社(現在の岡崎神社)と一対をなしていた。縁結び・夫婦円満・家内安全・安産のご利益があるとされています。
節分の日にだけ、烏帽子に水干姿の懸想文売りによって、「懸想文」が売られる。これを鏡台やタンスの中に入れておくと、美人になり良縁を授かるとされる。境内にある交通神社は、須賀神社に合祀されていた八衞比古(やちまたひこのみこと)・八衞比賣神を分祀し、昭和39年に建立された。八衞比古・八衞比賣神は夫婦で、外部から侵入してくる邪神・魑魅魍魎(ちみもうりょう)を防いでくれる神様。交通や旅行の安全、旅館業の守り神として信仰されているところから、神社も「交通神社」と名づけられた。
住所 京都府京都市左京区聖護院円頓美町1
建勲神社
建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、京都市北区の船岡山の中腹にある神社である。織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀する。大願成就や開運、仕事運、出世開運のご利益があるとされています。
正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、「建勲さん(けんくんさん)」と通称される。旧称建織田社(たけおだしゃ)、建勲社。祭神・織田信長の業績にちなみ、国家安泰・難局突破・大願成就の神社とされる。高台にある境内からは特に大文字山・比叡山方面の眺望が良い。
住所 京都府京都市北区紫野北舟岡町49
愛宕念仏寺
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は京都府京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の仏教寺院。本尊は千手観音、別名千二百羅漢の寺。愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる。安産・子宝祈願にご利益があるとされています。
8世紀中頃、稱徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建。平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたらしい。すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる鴨川の洪水で堂宇を流失。廃寺同然を、醍醐天皇の命により天台宗の千観が復興した。千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した。
この際いったんは七堂伽藍を備え勅願寺としての体裁を整えたが、その後は興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。1922年それらを移築して現在地での復興を目指すが失敗。あまりの荒れように、1955年に天台宗本山から住職を命じられた西村公朝も、引き受けるのをためらったという。それを清水寺貫主・大西良慶の「それだけ傷んでおれば、草一本むしりとっても、石一つ動かしても、おまえは復興者、復興者やといってもらえる。わしも手伝ってやるから」の激励で復興に取りかかった。以来、仏師として全国を飛び回る傍ら、本堂、地蔵堂、仁王門などを整備した。
素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が始まったのは、1981年。当初は五百体が目標だったが、10年後には千二百体に達した
住所 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
西芳寺
西芳寺(さいほうじ)は、京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院。一般には通称の苔寺で知られる。山号を洪隠山と称する。本尊は阿弥陀如来、開山は行基、中興開山は夢窓疎石である。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
住所 京都府京都市西京区松尾神ヶ谷町56
八大神社
八大神社(はちだいじんじゃ)は、京都市左京区一乗寺の神社。御祭神は素盞鳴命(すさのうのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、八王子命。宮本武蔵が吉岡一門との決闘を前に訪れ、「我、神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」の言葉を残したことで有名。
決闘の場である一乗寺下り松は八大神社のすぐ前で、初代の「一乗寺下り松」の古株が、境内に保存されている。厄除け・方位除け・縁結び・禊祓い・学業上達などご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区一乗寺松原町1
豊受大神社
豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)は、京都府福知山市大江町に鎮座する神社。豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも称される。縁結びや良縁のご利益があるとされています。
住所 京都府福知山市大江町天田内60
出世稲荷神社
出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、京都市上京区にある神社である。宇迦之御魂命(稲荷神)を祭神とする。開運出世、地位名望、衆人愛敬、衣食住、延命長寿、病気平癒、武運長久、千客万来、金銀財宝などにご利益があるとされています。
元は豊臣秀吉の聚楽第の邸内社として創建されたものである。豊臣秀吉は幼いころから稲荷神を信仰しており、天正15年(1587年)に造営した聚楽第にも稲荷神を勧請した。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けた。以来、出世開運の神として大名・公家の崇敬を受けた。聚楽第取り壊しの後も元の場所に鎮座していたが、寛文3年(1663年)に現在地に遷座した。
住所 京都府京都市上京区千本通二条下る聚楽町851
太田神社
太田神社(おおたじんじゃ)は、京都市北区の神社。太田神社は上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社で、古くは恩多社(おんたしゃ)とも言われた。御祭神は天鈿女命(あめのうずめ)。他の天鈿女命を祀る神社と同じく、芸能の神として信仰されている。
境内の大田の沢にはカキツバタの野生群落(国指定天然記念物)があり、古くは藤原俊成の歌にも詠まれている。芸能上達のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市北区上賀茂本山340
大原野神社
大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、京都市西京区大原野にある神社である。奈良春日社(現在の春日大社)から勧請を受けたもので、京春日(きょうかすが)の別称がある。良縁、夫婦円満、女性守護、玉の輿などのご利益があるとされています。
延喜式神名帳にはその名はなく、官社としては扱われない式外社であるが、「大原野社」「大原野祭」等と国史にはたびたびその名が見えており、いわゆる国史現在社である。
住所 京都府京都市西京区大原野南春日町1152
大報恩寺
大報恩寺(だいほうおんじ)は京都市上京区にある真言宗智山派の寺院。山号は瑞応山(ずいおうざん)。通称千本釈迦堂。おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られる。“縁結び”“夫婦円満”“子授け”にご利益があるとされています。
住所 京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町
善峯寺
善峯寺(よしみねでら)は、京都府京都市西京区にある寺院。山号は西山。西国三十三箇所第20番札所。善峰観音宗(天台宗系単立)。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。
樹齢約600年の五葉松「遊龍の松」がある。天然記念物。幹が横に這うように伸びていることからこの名が付けられた。五体安穏や腰痛神経痛など、すべての病いが除かれる「当病悉除(しゅびょうしつじょ)」のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市西京区大原野小塩町1372
上御霊神社
上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は、京都市上京区にある神社である。旧社格は府社。上御霊神社という社名は下御霊神社に対応するもので、現在は宗教法人としての正式名を「御靈神社」としている。
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この時に慰霊された御霊は崇道天皇・伊予親王・藤原夫人・観察使(藤原仲成)・橘逸勢・文屋宮田麿らであった。この御霊会が当社および下御霊神社の創祀であるとしている。
御祭神は、吉備真備を除いていずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。不安や怒り、ストレスなどの心を沈めてくれる効果があるとされています。
住所 京都府京都市上京区上御霊竪町495
下御霊神社
下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、京都市中京区にある神社である。社名は上御霊神社に呼応するものである。病気平癒のご利益があるとされています。
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。古来より京都御所の産土神として崇敬された。享保年間に霊元天皇の霊を配祀した。
元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられる。後に新町出水に移され、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座した。
住所 京都府京都市上京区信富町324
宝厳院
宝厳院(ほうごんいん)は京都府京都市右京区にある臨済宗天龍寺派の寺院で天龍寺の塔頭。山号は大亀山。
寛正2年(1461年)、細川頼之が聖仲永光を開山に招聘して創建。応仁の乱(1467年 – 1477年)に巻き込まれて焼失し、天正年間(1573年 – 1591年)に再興された、河川工事のため、寺域が買い上げられ、天龍寺塔頭の弘源寺内に移転した。平成14年(2002年)、天龍寺方丈南側の現在地を購入して移転、再興した。
庭園は「獅子吼の庭」と呼ばれる借景回遊式庭園で、獅子の形をした獅子岩がパワースポットと言われている。岩から生えている破岩の松などが有名。
住所 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町36
法輪寺
法輪寺(ほうりんじ)は、京都市西京区にある仏教寺院。名勝嵐山の中腹に位置する。山号は智福山。宗派は真言宗五智教団に属する。嵯峨虚空蔵と通称される。本尊の虚空蔵菩薩が、「嵯峨の虚空蔵さん(さがのこくうぞうさん)」として親しまれている。縁結びにご利益があるとされています。
奥州会津柳津の円蔵寺、伊勢の朝熊山(あさまやま)の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」と称され、「十三まいり」の寺として有名。知恵、芸事の上達、また丑寅年生まれの守り本尊として信仰を集める。また、十三詣りや針供養・うるし祖神の寺としても著名である。境内には、電気・電波を守護する鎮守社である電電宮が祀られている。
住所 京都府京都市西京区嵐山虚空蔵山町68-3
化野念仏寺
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、京都市右京区の嵯峨野にある浄土宗の寺。山号は華西山。化野は東山の鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地であり、風葬の地として知られる。
伝承によれば弘仁2年(811年)、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされ、後に法然が念仏道場を開き、念仏寺となったという。
本尊は阿弥陀如来像(寺伝に湛慶作というが実際の作者は不明)、本堂は江戸時代の正徳2年(1712年)に寂道により再建されたもの。
境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。境内には水子地蔵もあり、地蔵菩薩の縁日には水子供養が行われている。
住所 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
天岩戸神社
天岩戸神社は、京都府福知山市の神社。皇大神社の奥の院とされている。願成就にご利益があるとされています。
境内や周囲には、真名井ヶ原・真名井ヶ池・楽の堂・産盥・産釜・神楽岩・御座石・鶏鳴岩・鱒池・鮎返りの滝などの旧蹟がある。
住所 京都府福知山市大江町佛性寺日浦ケ嶽206-1
日室ヶ嶽
日室ヶ嶽(ひむろがたけ)は、京都府福知山市にある山。元伊勢内宮(皇大神社)・天岩戸神社の御神体山であり、最初に天照大神が神霊降臨された山として神聖視されている。岩戸山・城山(じょうやま)・日裏が岳・日室岳など多くの別称を持つ(地理院地図等では「城山」と記載)。ピラミッド説もある。
皇大神社から天岩戸神社へ向かう参道の途中、日室ヶ嶽遥拝所(一願さん)という場所があり、日室ヶ嶽を遥拝できる。この遥拝所から日室ヶ嶽に拝礼すれば、必ず自分の望みが叶うという「一願成就」の慣習が語り継がれている。
夏至の日、遥拝所や内宮がある辺りから日室ヶ嶽を眺めると、太陽が日室ヶ嶽のちょうど山頂に沈み込む。神域である東斜面は立入禁止だが、西側からは登ることができる。
住所 京都府福知山市大江町佛性寺
住蓮山安楽寺
安楽寺(あんらくじ)は、京都市左京区にある浄土宗の寺院で、7月に中風除けを祈願するカボチャ供養で有名である。皮膚病や腫瘍平癒にご利益があるとされています。
安楽寺は、1207年(建永2)におこった建永の法難のきっかけとなった法然の念仏道場「鹿ヶ谷草庵」の後身の寺であり、寺宝として安楽房遵西・住蓮坊と後鳥羽上皇の女官であった松虫・鈴虫関連のものが残されている。
住所 京都府京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21
霊山観音
霊山観音(りょうぜんかんのん)は京都市東山区にある観音像で、第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するため、1955年、帝産グループ創設者、石川博資によって建立された。縁結び、良縁にご利益があるとされています。
高さ24m、重さは約500t、鉄骨コンクリート造。運営は宗教法人霊山観音教会が行っている。観音像の下には内陣があり本尊の十一面観音が祀られている。メモリアルホールには世界無名戦士の碑があり日に4回の法要が営まれている。
この場所は平安時代から風水的な吉地とされ、境内には「願いの玉」がある。「願いの玉」に右手を触れながら、願いの数だけ廻ると願いごとが叶うといわれている。
住所 京都府京都市東山区
詩仙堂
詩仙堂(しせんどう)は、京都市左京区にある、江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡。国の史跡に指定されている。現在は曹洞宗の寺院でもあり丈山寺という。
住所 京都府京都市左京区一乗寺門口町27
円通寺
円通寺(えんつうじ)は京都市左京区岩倉幡枝町にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は大悲山。聖観音を本尊とする。
枯山水式の庭園「円通寺庭園」で国の名勝に指定されている。苔を主体に刈込みと石を配し、大小40余りの庭石は上皇となった後水尾天皇が自ら配したといわれる。また、刈込みと立木の背後に望む比叡山を借景としており、上皇は最も比叡山の眺望に優れた地を求めて、この幡枝に山荘を設けたといわれている。
元は後水尾天皇の山荘であった幡枝御殿であり、枯山水庭園もその頃に造営されたものである。修学院離宮の造営に伴い、幡枝山荘は近衛家に譲渡された。後の延宝6年(1678年)、霊元天皇の乳母であった円光院文英尼が開基となって寺に改め、皇室の祈願所となった。妙心寺10世の景川宗隆を勧請開山としている。
住所 京都府京都市左京区岩倉幡枝町389
熊野若王子神社
熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)は、京都市左京区の神社。厄払い、学業成就のご利益があるとされています。
永歴元年(1160)後白河法皇が熊野権現を勧進して建立した若王子の鎮守社で、社名は天照大神の別称若一王子に因んでこのように名付けられた。
住所 京都府京都市左京区若王子町
文子天満宮
文子天満宮(あやこてんまんぐう)は、京都市下京区の神社。菅原道真を祭神とする天神信仰発祥の神社として知られる。菅原道真の乳母多治比文子宅祉であったと伝えられる。道真は太宰府へ左遷されるとき、自分の姿を彫刻し、多治比文子に与えた。道真が903年(延喜3年)左遷先の太宰府で没したが、没後約40年経た942年(天慶5年)、多治比文子に「北野の地」に祀るよう託宣があった。しかし貧しい文子は社殿を作ることが出来ず、自宅に小さな祠を建てて、この像を祀ったのが、当社の始まりとされる。学業成就や合格祈願のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市下京区間之町通花屋町下る天神町400
若一神社
若一神社(にゃくいちじんじゃ)は、京都市下京区の神社。平安末期平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まり。以後清盛の勢威がのびたというので開運出世の神として崇められる。社前の清盛手植の大楠が知られる。11月10日例祭、火焚神事がある。
住所 京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
真正極楽寺
真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は、京都市左京区にある天台宗の寺院で通称真如堂(しんにょどう)と呼ばれる。山号は鈴聲山(れいしょうざん)。
本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は戒算である。本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈ると頷いた、という伝説がある。射手座のパワースポットとも言われる。
住所 京都府京都市左京区浄土寺真如町82
離宮八幡宮
離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)は京都府乙訓郡大山崎町にある神社。石清水八幡宮の元社にあたる神社。八幡大神を祭神とする。大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折に「われ都の近くに移座し国家を鎮護せん」と神託をし、嵯峨天皇の離宮跡であるこの地にきた時、霊光を見て、掘ってみると岩間から湧き水が出たという。時の神官が搾油器を発明し「荏胡麻油」の製油が起こったことで、日本における製油発祥地とされる。「大山崎油座」の制度で荏胡麻油の販売権を独占して大いに栄えたという。総合運・全体運・諸願成就のご利益があるとされています。
住所 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字西谷21-1
飛行神社
飛行神社(ひこう じんじゃ)は京都府八幡市にある神社。飛行機の神饒速日命と航空事故の犠牲者などを祀る。ギリシャ風の拝殿を持っている。日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が創建した。交通安全、家内安全、仕事運、健康運にご利益があるとされています。
住所 京都府八幡市八幡土井44
金引の滝
金引の滝(かなびきのたき)は、金引(男滝・女滝)、白竜(はくりゅう)、臥竜(がりゅう)の3滝からなり、京都府宮津市にある。日本の滝百選に選ばれた京都府で唯一の滝である。婦人病にご利益があるとされています。
近畿自然歩道にもなっている歩道を上がっていくと、臥龍、北向地蔵尊、白竜、金引不動尊、金引とあり、四阿も設けられている。主瀑の金引は、むき出しの花崗岩や閃緑岩を滑り落ちる分岐瀑で、見学者から見て左となる幅の狭い方が女滝(めだき)になり、右となる幅の広い方が男滝(おだき)になる。7月最終日曜日には金引の滝火祭りが催される。
住所 京都府宮津市滝馬208
若宮八幡宮社
若宮八幡宮社(わかみやはちまんぐうしゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。陶器神社とも呼ばれる。旧社格は郷社。応神天皇・仲哀天皇・神功皇后(八幡三神)を主祭神とし、左相殿に仲恭天皇、右相殿に椎根津彦大神(陶祖神)を配祀する。家内安全、国家安泰などにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区五条橋東5丁目480
無鄰菴
無鄰菴(むりんあん)は山縣有朋の別邸で七代目小川治兵衛の作庭。「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つあり、長州・下関の草庵、京都の木屋町二条に購入した別邸、京都・南禅寺参道前に造営した別邸があるが、通常は三番目の山縣有朋別邸を指す。
南禅寺のすぐ西側、琵琶湖疏水のほとりに位置し、南禅寺界隈別荘の一つ。敷地は三角形の形状で、広さ約3100平方メートル。現在は1941年に寄贈されて京都市が管理している。その庭園は1951年、国の名勝に指定された。
数寄屋造りの母屋、藪内流燕庵写しの茶室、煉瓦造り二階建て洋館、および広い日本庭園からなる。山縣は明治25年ごろから準備を始め、1894年(明治27年)に造営に着手、明治29年完成。洋館の設計は新家孝正で明治31年に竣工。
住所 京都府京都市左京区南禅寺草川町31
狸谷山不動院
狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)は、京都市左京区一乗寺の不動院。当地は宮本武蔵の「一乗下り松」の決闘で知られる。
天応元(781)年に桓武天皇勅願で平安京の鬼門守護として「咜怒鬼(たぬき)不動明王」様が安置されたことが創祀。宮本武蔵が修行をしたといわれる「修行の滝」や、車のお祓いができる自動車祈祷殿がある。初縁日である1月28日には、初不動祭「ガン封じの笹酒の接待」が行われる。修験者による災難除けの大護摩供養が行われ、その火で温められた笹酒が修験者によって振舞われる。
境内には狸の焼き物が数多く見られる。「タヌキ」を「他抜き」とかけ、商売繁盛や芸事上達の祈願に訪れる人も多い。ガン封じや病気平癒にご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区一乗寺松原町6
京都タワー
京都タワー(きょうとタワー)は、京都市下京区にある塔。京阪グループの京都タワー株式会社が運営している。台座となっている京都タワービルを含めた高さは131mあり、京都市内ではもっとも高い建造物である。
タワーの姿は、市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものである。
住所 京都府京都市下京区東塩小路町721-1
毘沙門堂
毘沙門堂(びしゃもんどう)は、京都市山科区にある天台宗の寺院。山号は護法山。護法山安国院出雲寺とも称す。本尊は毘沙門天。天台宗京都五門跡の一であり、「毘沙門堂門跡」とも呼ばれる。金運財運、商売繁盛のご利益があるとされています。
寺伝によれば、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)行基が開いたという。寺宝に洞院公定日記(重文)などの文化財を所蔵する。春は樹齢百五十余年の枝垂桜他の桜の花が咲き誇り、秋は紅葉で境内は色鮮やかになる。
住所 京都府京都市山科区安朱稲荷山町1
天津神社
天津神社(あまつじんじゃ)は、京都市北区にある神社で、単立の宗教法人である。祭神は天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の造化三神である。さらに、天照大御神ほか八百万の神々を祀り、門前には光明稲荷大神を祀っている。
天津神社のおみくじは、一般的なおみくじにあるような、大吉、吉、凶などは書かれてはおらず、竹の表裏に言葉が書かれているのみである。神のお言葉と言われ、「古代不思議おみくじ」と呼ばれている。あまりによく当たるので、おみくじの前で泣き出す人もいるという。
住所 京都府京都市北区平野宮本町89
金剛寺
金剛寺(こんごうじ)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。山号は大黒山。通称は八坂庚申堂。大阪四天王寺庚申堂、東京入谷庚申堂(現存せず)とともに日本三庚申の一つとされている。本尊の青面金剛は飛鳥時代に中国大陸より渡来した秦氏の守り本尊であった。
庚申日ごとに行われる蒟蒻焚きでは、猿形に抜いた蒟蒻を3つ、北を向いて無言で食べれば、無病息災であるとされる。良縁成就、病魔を退散するご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区金園町390
萬福寺
萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗宗(おうばくしゅう)大本山の寺院。山号は黄檗山、開山は隠元隆琦(いんげんりゅうき)、本尊は釈迦如来である。縁結びのご利益があるとされています。
日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した、黄檗宗の中心寺院で、中国・明出身の僧隠元を開山に請じて建てられた。建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有する。
住所 京都府宇治市五ヶ庄三番割34
京都府立植物園
京都府立植物園は京都市左京区にある植物園。明治時代までは上賀茂神社の境外末社である半木神社とその鎮守の森(半木の森)を中心とした田園地帯であった。
大正天皇の即位を祝い企画した「大礼記念京都大博覧会」の開催用地として、1913年(大正2年)に京都府によりこの地が購入された。しかし、議会等の反対もあり博覧会は開催されず、植物園が代案として計画されることとなり、1915年(大正4年)に「大典記念植物園」の設置が決定された。
この際、敷地内の半木の森は、古代の山城盆地の植生を残す貴重な自然林としてそのままの形で活用するよう設計がなされ、半木神社も移転することなく園内に存置された。1923年(大正12年)11月に開園し、翌年1月から有料公開が始まった。1946年(昭和21年)から12年間は連合国軍に接収され閉園を余儀なくされたが、1961年(昭和36年)4月に再開した。
住所 京都府京都市左京区下鴨半木町
鷺森神社
鷺森神社(さぎもりじんじゃ、さぎのもりじんじゃ)は京都府京都市左京区にある神社。御神号は鬚咫天王。縁結びや家内安全、夫婦和合にご利益があるとされています。
毎年5月4日・5日に例祭「神幸祭」(さんよれ祭)が行われる。境内には文学博士吉沢義則が執筆した離宮御幸震記の御歌日記にある一首の記念碑がある。
境内に「縁結びの石 八重垣」がある。御祭神の素盞鳴尊が詠まれた和歌「八雲たつ 出雲八重垣妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」にちなんで名付けられた。この石に手を触れて祈ると、素盞鳴尊の御神縁で悪縁を絶ち、想う人との良縁を結んでくれるといわれている。また良縁だけでなく、御祭神の御神徳である夫婦和合や家内安全も授けていただけるという。
住所 京都府京都市左京区修学院宮ノ脇町16
磯清水
磯清水(いそしみず)は京都府宮津市にある井戸。砂嘴にある井戸で両側が海であるにもかかわらず、飲んでも塩分を感じない不思議な名水。散策する観光客の休憩時の飲料水として古くから珍重されている。
和泉式部が「橋立の松の下なる磯清水都なりせば君も汲ままし」と詠ったと伝えられている。環境省選定の名水百選に選ばれている。近くには天橋立神社、芭蕉の一声塚などの史跡がある。
住所 京都府宮津市文珠
閑臥庵
閑臥庵は、京都府京都市北区にある黄檗宗の禅寺。山号を瑞芝山という。方除・厄除のご利益があるとされています。
もとは、梶井常修院の宮の院邸であったが、江戸時代前期に後水尾法皇が、夢枕に立った父・後陽成天皇の言葉に従って、王城鎮護のために貴船の奥の院より鎮宅霊符神をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆禅師が開創となって寺としたことに始まる。肉や魚を使用しない京懐石「普茶料理」を楽しむこともできる。
住所 京都府京都市北区新御霊口町278
福王子神社
福王子神社(ふくおうじじんじゃ)は、京都府京都市右京区宇多野にある神社。子宝・安産、子育て、身体壮健、諸願成就などにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市右京区宇多野福王子町57
京都神田明神
京都神田明神(きょうと かんだみょうじん)は、平將門の首が晒されたとされている地に残されている祠である。旧名は神田神宮。
天慶の乱の後、貞盛、秀郷に討たれた将門の首級は平安京まで送られ東の市・都大路で獄門にかけられた。その首の行方から将門塚(しょうもんづか)をはじめ数々の伝説が全国各地に残されている。現在は民家の玄関横に組み込まれた、ごく小さな社で、「膏薬の図子(こうやくのずし)」と呼ばれる細い路地を四条通から少し南に入ったところにある。
住所 京都市下京区新釜座町
難波野の千躰地蔵
難波野の千躰地蔵(千体仏)は、京都府宮津市難波野にある供養地。
天保12年(1841)の記録に「灘波野村の西、成相山の下より一千躰佛を掘り出す。蓋応永年中大江越中守造る所の千躰佛ならん」とある。石仏数は千体を越え、丹後形と言われる板碑型三百余基ある。若干の宝篋印塔、五輪塔のほかに、舟形光背形の地蔵が多い。紀年銘のあるものは見つからないが、彫成時代は戦国期から近世初期にかけてのものが多い。
住所 京都府宮津市難波野
勧修寺
勧修寺(かじゅうじ)は、京都市山科区にある門跡寺院。真言宗山階派大本山。山号を亀甲山と称する。開基(創立者)は醍醐天皇、開山(初代住職)は承俊、本尊は千手観音である。諸願成就にご利益があるとされています。
皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院である。寺名は「かんしゅうじ」「かんじゅじ」などとも読まれることがあるが、寺では「かじゅうじ」を正式の呼称としている。一方、山科区内に存在する「勧修寺○○町」という地名の「勧修寺」の読み方は「かんしゅうじ」である。
900年(昌泰3年)醍醐天皇の生母藤原胤子の追善のため創建された寺で、外祖父藤原高藤の諡号(しごう)をとって勧修寺と号した。開山は東大寺出身の法相宗の僧である承俊律師。代々法親王が入寺する宮門跡寺院として栄えたが、1470年(文明2)兵火で焼失して衰退し、江戸時代に入って徳川氏と皇室の援助により復興された。(法親王とは皇族男子で親王宣下後に出家した者。宮門跡とは代々皇族が住持を務める別格寺院のこと)
住所 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6
蟹満寺
蟹満寺(かにまんじ)は、京都府木津川市山城町にある真言宗智山派の寺院。山号は普門山。本尊は縁起によれば観世音菩薩であるが観世音菩薩は現在観音堂に安置され、国宝の釈迦如来が本尊となっている。
住所 京都府木津川市山城町綺田36
常照皇寺
常照皇寺(じょうしょうこうじ)は、京都府京都市右京区(旧京北町)京北井戸町にある臨済宗天龍寺派の寺院。山号は大雄名山万寿(だいおうめいざんまんじゅ)。
住所 京都府京都市右京区
朝日神社
朝日神社は京都府京丹後市の神社。巨石が祠に祀られている。諸願成就、商売繁盛、五穀豊穣、出世開運などにご利益があるとされています。
住所 京都府京丹後市網野町浅茂川小字東小路
銭司聖天
銭司聖天(ぜずしょうてん)は、京都府木津川市加茂町銭司美ノ畑にある寺院。金運向上の御利益で知られる。金運向上のご利益があるとされています。
その昔、銭司は「和同開珎」を製造していた「鋳銭司」だった。「夢をかなえるゾウ」で知られるガネーシャ(歓喜天、聖天様)が祀られている。聖天様は七代の財を一代に集める程、特に金運向上に対して御利益がるという。
住所 京都府木津川市加茂町銭司美ノ畑26
祇王寺
祇王寺(ぎおうじ)は、京都市右京区にある真言宗大覚寺派の仏教寺院。寺自体は尼寺である。山号は高松山。院号は往生院。本尊は大日如来。
住所 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32
妙蓮寺
妙蓮寺(みょうれんじ)は、京都府京都市上京区にある、本門法華宗の大本山。山号は卯木山。塔頭が八院ある(恵光院、玉龍院、本光院、円常院、堅樹院、慈詮院、本妙院、常住院)。良縁成就、縁結びなどにご利益があるとされています。
妙蓮寺の御会式桜(おえしきざくら)は、日蓮大聖人入滅の日である10月13日の前後から咲き始め、4月8日のお釈迦様の聖誕日ごろ満開となる珍しい桜。この桜の散った花びらを持ち帰ると「恋が成就する」といわれている。
住所 京都府京都市上京区寺之内通大宮東入ル妙蓮寺町875
武信稲荷神社
武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)は京都の六角大宮にある神社。平安時代初期に当時右大臣であった藤原良相によって創建された。必勝開運・命名・
武信稲荷神社の榎(えのき)は、平安時代末期、平重盛が安芸の宮島・厳島神社から苗木を移したと伝えられる。樹齢約850年。この榎には末社「宮姫社」の弁財天が宿るといわれ、木にふれた手で体をさすると病気が治るといわれている。
また榎は「えんの木」とも読まれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神としても知られるため、縁結び、恋愛の神木として崇敬を集めている。この榎には、坂本龍馬とおりょうの逸話も残っている。
住所 京都府京都市中京区三条通大宮西入ル二筋目下ル今在家西町
地蔵院
地蔵院(じぞういん)は、京都市西京区にある臨済宗系の単立寺院。山号は衣笠山。本尊は地蔵菩薩。周囲を竹林で囲まれていることから竹の寺の通称で知られる。一休宗純は幼少時、この寺で修行したと伝えられる。開運のご利益があるとされています。
1368年(応安元年)、室町幕府管領を務めた武将細川頼之によって創建された。頼之は碧潭周皎(へきたんしゅうこう、宗鏡禅師)に帰依して出家した。実質的な開山は碧潭周皎であるが、碧潭は法兄である夢窓疎石を勧請開山としている。
南北朝時代には勅願寺となって寺運も興隆したが、応仁の乱の兵火により伽藍を焼失し寺運も衰えた。江戸時代中期に中興され、江戸期には天龍寺に属した。もとは臨済宗に属していたが、1968年(昭和43年)に独立して単立寺院となった。
住所 京都府京都市西京区山田北ノ町
鍬山神社
鍬山神社(くわやまじんじゃ)は、京都府亀岡市の神社。社伝によると和銅二年(709)の創祀。縁結びのご利益があるとされています。
かつては大蛇の住む泥湖であったが、祭神・大己貴命が、八神を黒柄山に集めて協議し、みずから鍬を持って浮田峡(保津峡)を切り開き、肥沃な農地としたと言われる。里人がその神徳を慕い、天岡山の麓に大己貴命を祀ったのが鍬山神社の起源とされる。紅葉の名所として知られる。鮮やかな美しさは「矢田の紅葉」と称賛されている。
住所 京都府亀岡市上矢田町上垣内22-2
水度神社
水度神社(みとじんじゃ)は、京都府城陽市寺田水度坂に鎮座する神社である。鴻ノ巣山のふもとにある。御祭神は天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)・高御産靈神(たかみむすびのかみ)・少童豐玉姫命(わだつみとよたまひめのみこと)。
「山城国風土記」逸文に、「久世の郡水渡の社祗社」とあることから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えられ、創祀は平安時代初期といわれる。
本殿は国の重要文化財に指定されており、一間社流造で、1448年(文安5年)建立の市内に現存する最古の建物である。屋根は檜皮葺で、正面に大きな千鳥破風がある。水度神社と参道の松並木が「京都の自然200選」に選ばれている。御神木のシイノキは樹齢300年以上だという。
住所 京都府城陽市寺田水度坂87
光悦寺
光悦寺(こうえつじ)は京都市北区鷹ヶ峰にある日蓮宗の寺院。山号は大虚山。親師法縁。
住所 京都府京都市北区鷹峯光悦町29
新日吉神宮
新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、京都府京都市東山区にある神社。旧社格は府社。現在は神社本庁に属さない単立神社となっている。旧称は新日吉社。「狛犬」のかわりに「狛猿」がいることで知られ、「御神猿」と呼ばれる。「厄除け」「開運招福」などのご利益があるとされています。
社伝によれば、1160年(永暦元年)後白河上皇の命により、院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、現在より南に創建されたと伝えられる。その後、社地を転々とし、現在の社地となったのは、明治になってからとされる。1958年(昭和33年)、後白河天皇を増祀し、翌1959年(昭和34年)に神社名を現在の新日吉神宮と改めた。
住所 京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
宝泉寺
宝泉寺は京都府南丹市美山町にある真言宗御室派の寺院。由良川沿いの山麓に位置する。神亀年間(724~729年)にインドからの渡来僧・法道仙人によって開創されたと伝えられている。
御本尊は薬師如来。室町時代に本寺が火災に遭った時、寺は焼失するも御本尊だけはたちまち三町ほど離れた文殊堂に飛び去り難を逃れたという。薬師堂には木造薬師如来立像と共に日光・月光菩薩立像が安置されている。大師堂は1707年の建立で京都府登録文化財になっている。北桑西国三十三霊場の第八番札所。
住所 京都府南丹市美山町小渕中ノ元9
いさら井
いさら井は京都府京都市右京区にある井戸。広隆寺駐車場の西に接する小道を北へ約50メートル上った右手に位置する。以前は「井浚」と表記されていた。
「いさら井」は「イスラエル」がなまったものという説があり、日本人とユダヤ人とは祖先が同じであるとする日猶同祖論の根拠の一つとなっている。しかし「いさら」とは「少ない」を意味する古語であり、「いさら井」とは「水の量が少ない井戸」という意味らしい。
住所 京都府京都市右京区太秦西蜂岡町17
竹野神社
竹野神社は京都府京丹後市の神社。丹後海一帯の漁業関係者の間では「いつきさん」として古くから尊崇されている。開運、安産、家内安全などにご利益があるとされています。
垂仁天皇に仕えた丹波の大県主(おおあがたぬし)の由碁理(ゆごり)の娘・竹野媛が、天照皇大神を祀ったのが竹野神社の始まりだと言われる。すぐ近くに丹後地方屈指の神明山古墳がある。10月10日の祭礼には「テンキテンキ」と名づけられた民俗芸能が奉納される。
住所 京都府京丹後市丹後町宮249
金戒光明寺
金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称寺名をくろ谷さん(くろたにさん)と呼ぶ。知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山の1つである。交通安全(道中守護)や健康、厄除開運に家内安全、良縁成就や安産、子授、商売繁盛などにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区黒谷町121
御蔭神社
御蔭神社は京都府京都市左京区の神社。下鴨神社の境外摂社。御祭神は玉依比売命(たまよりひめのみこと)と賀茂健角身命(かものたけつぬみのみこと)。金運や健康などのご利益があるとされています。
鎮座地は古くから賀茂の神が出現されたところと伝え、御生山(みあれやま)と呼ばれる。天武天皇六年(677)、山背国司が造営したと伝えられる賀茂神宮は、この御蔭神社であるという説があるという。古代から山背北部豪族の祭祀の中心地であり、周囲には数々の遺跡が存在する。現在の本殿と拝殿は江戸時代末の建築である。
毎年5月12日に行なわれる祭礼は賀茂御蔭祭と呼ばれて名高い。祭の当日には、下鴨神社から錦蓋をかざした神馬を中心に、騎馬の神宮・楯・鉾・弓などの神具を捧げた多数の供奉の人々の行列がこの神社に詣り、やがて神霊を神馬に迎えて本社の下鴨社に還幸する。
住所 京都府京都市左京区上高野東山
私市円山古墳
私市円山古墳(きさいちまるやまこふん)は1988(昭和63)年に発見された5世紀中頃の古墳。直径70m、高さ10mの円墳で、京都府下では最大の規模。現在周囲一帯は展望台のある史跡公園となっている。
住所 京都府綾部市私市町円山8-2
矢田寺
矢田寺(金剛山矢田寺)は、京都市中京区の西山浄土宗寺院。寺伝によれば、当寺は、平安時代の初め、大和国(奈良県)の矢田寺の別院として五条坊門(下京区)に創建され、以後、寺地を転々とし、天正七年(1579)に現在の地に移されたといわれている。良縁成就・安産祈願・無病息災などのご利益があるとされています。
本堂に安置する本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は高さ約2メートルの立像で、開山の満慶(まんけい)上人が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、俗に代受苦地蔵と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。また、当寺の梵鐘は、六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々から信仰され、一年を通じて精霊送りには、多くの参拝者で賑わう。
住所 京都府京都市中京区寺町通三条上る天性寺前町523-5
石像寺
石像寺(しゃくぞうじ)は京都市上京区にある浄土宗の寺院。山号は家隆山(かりゅうざん)。詳名は家隆山光明遍照院石像寺(かりゅうざん・こうみょうへんじょういん・しゃくぞうじ)である。本尊は地蔵菩薩。地元では通称の釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)で知られている。
住所 京都府京都市上京区千本上立売上ル花車町503
千光寺
千光寺(せんこうじ)は、京都府京都市西京区にある黄檗宗の寺院。山号は大悲閣山。別称は大悲閣。本尊は千手観音菩薩。江戸時代の豪商角倉了以の木像があることで知られる。当初は現在の嵯峨清涼寺の近くにあったが、江戸時代初期豪商角倉了以が現在地に移したものとされる。
住所 京都府京都市西京区嵐山中尾下町62
聖護院
聖護院(しょうごいん)は京都府京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗総本山の寺院。同宗派設立以前は天台宗に属した。山号はなし。開基(創立者)は増誉、本尊は不動明王である。身体健勝、
日本の修験道の中心寺院の1つ。近世以降、修験道は江戸幕府の政策もあって「本山派」「当山派」の2つに分かれたが、聖護院はこのうちの本山派の中心寺院であった。また、代々法親王(皇族男子で、出家後に親王宣下を受けた者)が入寺する門跡寺院として高い格式を誇った。江戸時代後期には2度にわたり仮皇居となったこともある。当寺の開基は園城寺の僧・増誉である。増誉は1090年(寛治4年)、白河天皇 白河上皇の熊野詣の先達(案内役)を務めた。この功により増誉は初代の熊野三山検校(熊野三山霊場の統括責任者)に任じられ、役小角 役行者(修験道の開祖とされる伝説的人物)が創建したとされる常光寺を下賜された。これが聖護院の創建である。寺名は「聖体護持」の意である。熊野三山検校の地位はその後園城寺が引き継いでいたが、室町時代中期からは聖護院が務めるようになった。
住所 京都府京都市左京区聖護院西町1
妙満寺
妙満寺(みょうまんじ)は、京都市左京区にある顕本法華宗の総本山。山号は妙塔山。塔頭が四院ある(正行院、法光院、成就院、大慈院)。
妙満寺を創建した日什は、もと天台宗の学頭で名を玄妙と称した。68歳の時に上洛して、後円融天皇へ上奏し「二位僧都」の位と「洛中弘法の綸旨」を賜った。室町時代、日什は天王寺屋通妙の外護を受けて妙満寺を建立した。安土桃山時代から江戸時代にかけて、争乱などにより、移転と再建を繰り返した。近年、門前に3000株のツツジが植えられて、花の寺として親しまれている。比叡山を借景にした枯山水庭園「雪の庭」も有名。
住所 京都府京都市左京区岩倉幡枝町91
菅大臣神社
菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)通称・菅大臣天満宮(かんだいじんてんまんぐう)は、京都市下京区の神社。菅原道真公を祭神とする。この地はもと道真公の邸や、菅家廊下といわれた学問所の跡で、誕生の地と伝えられ、天満宮誕浴の井が保存されている。また「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅の地も当神社である。古くは天神御所紅・白梅殿とも呼ばれ、境内には本殿、幣殿ほか多くの社殿が建つ。本殿はもと下鴨神社の本殿を、1869年(明治2)に移築したもの。幣殿と合わせて八棟造り、銅巻柿葺の豪華な建築。学業成就や合格祈願、出世などのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市下京区仏光寺通新町西入菅大臣町189
浄瑠璃寺
浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、京都府木津川市加茂町にある真言律宗の寺院。山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は義明上人である。寺名は薬師如来の居所たる東方浄土『東方浄瑠璃世界』に由来する。
住所 京都府木津川市加茂町西札場40
善願寺
善願寺(ぜんがんじ)は、京都市伏見区の天台宗寺院。檜の寄木造による京都一高い約3mの地蔵を祀る。通称・腹帯地蔵(はらおびじぞう)。服が妊婦の腹帯姿に見えることから腹帯地蔵と呼ばれる。安産のご利益があるとされています。
聖武天皇のころ、光明皇后の発願により行基菩薩が地蔵尊を本尊として一寺としたものと語られている。現在の本尊・地蔵尊は藤原時代の作で、重要文化財に指定されている。古くから安産祈願の信仰を集める寺。衣生木のカヤの木に彫られた不動さんが有名。
住所 京都府京都市伏見区醍醐南里町33
九頭竜大社
九頭竜大社は、京都府京都市の神社。占い師の間では知られたパワースポット。八方塞がり除け・厄除け・商売繁盛・健康長寿などにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区八瀬近衛町681
清凉寺
清凉寺(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。極楽往生にご利益があるとされています。
宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。
清凉寺の三国伝来の釈迦像は、像高約160cmで、魏氏桜桃という日本にはない材で作られている。宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(ちょうねん、938-1016)という東大寺出身の僧が、宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて謹刻させた釈迦如来像と言われる。その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため、「インド – 中国 – 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。
住所 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
梅宮大社
梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は、京都市右京区にある神社である。本殿に酒解神(さかとけのかみ)、酒解子神(さかとけごのかみ)、大若子神(おおわくごのかみ)、小若子神(こわくごのかみ)を祀り、相殿に嵯峨天皇、橘清友、橘嘉智子(檀林皇后)、仁明天皇を祀る。酒解神は初めて酒を作って神々に献じた、酒造の祖神である。子宝、安産などにご利益があるとされています。
嵯峨天皇の愛妃が子無きために祈り、この祈願によって授かった太子が、のちに仁明天皇となったとの故事から、子授けの詣で知られる。
境内にある「またげ石」は、別名「血脈相続の石」と呼ばれ、この石をまたぐと子宝に恵まれるといわれている。またげ石へは、夫婦そろって子授けのご祈祷を受けないと案内してもらえない。
俳優長谷川一夫の夫人も永らく子無きを哀しんでいた一人で、あるとき三条大橋の老舗旅館「目貫屋」の女将からこの梅の宮への詣を奨められ、万に一の願いを込めて祈ったところ、不思議にも一子を得たという。
住所 京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
首途八幡宮
首途八幡宮(かどではちまんぐう)は、京都市上京区の神社。鞍馬山で修行した牛若丸(源義経)が、奥州平泉へ旅立つにあたり道中の安全を祈願したという伝説が残る。首途とは出発という意味で、牛若丸が出発に際して立ち寄ったことから、こう呼ばれるようになった。もとは内野八幡宮という名前であった。出発を祝う神社として旅行安全のお守りを授与している。まゆを俵型に重ねた繭守は、嫁に行くときタンスの中に入れておくと衣装持ちになれるという。
住所 京都府京都市上京区智恵光院通今出川上る桜井町102-1
宝積寺
宝積寺(ほうしゃくじ)は、京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある真言宗智山派の仏教寺院。山号は天王山または銭原山(古くは補陀洛山といった)、本尊は十一面観音である。724年、聖武天皇の勅命を受けた行基による開基と伝える。
聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」(打出と小槌は別のもの)を祀ることから「宝寺」(たからでら)の別名があり、大黒天宝寺ともいう。金運にご利益があるとされています。
住所 京都府乙訓郡大山崎町大山崎銭原1
神光院
神光院(じんこういん)は、京都市北区にある真言宗系の単立寺院である。山号は放光山。空海が42歳の時に、当院で九十日間の修行を行ったとされる。修行を終えて寺を去る際に、境内の池に映る自らの姿を見て木像を彫り、厄除を祈願したといわれている。この木像は本堂に安置されている。同時に彼が眼病治癒の祈祷をしていたことから、眼病に利益のある寺としても広く知られるようになった。眼病治癒のご利益があるとされています。
本尊は弘法大師(空海)像で、「厄除け大師」として信仰されている。東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三大弘法として有名であり、地元では「西賀茂の弘法さん」の愛称で親しまれる。毎年7月下旬には、空海がキュウリに疫病を封じて病気平癒を祈願したことにちなみ、厄病除けの祈祷「きゅうり封じ」(きうり加持)が行われる。静かな境内を舞台に、『銭形平次』や『御家人斬九郎』、『暴れん坊将軍』を始めとする、時代劇の撮影がたびたび行われてきた。
住所 京都府京都市北区西賀茂神光院町120
善想寺
善想寺(ぜんそうじ)は、京都市中京区の寺院。地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)で知られ、泥足地蔵尊(どろあしじぞうそん)、汗だし地蔵尊(あせだしじぞうそん)と通称される。安産のご利益があるとされています。
善想寺地蔵菩薩像は、今から1200年前、伝教大師最澄上人が彫られたものという。この地蔵尊を天正15年(1587)3月23日、善想寺初代住職がご縁を得て善想寺山門横の堂内に迎た。泥足地蔵、汗出し地蔵とも呼ぶ。この地蔵尊に祈願しておけば、もし難産だったとき、お地蔵さんが玉のような汗を出して、妊婦の苦しみを引き受けてくれる「汗だし地蔵」と呼ばれ、また、田植え時に急病になった信者に代わって田植えをし、泥だらけになっていたところから「泥足地蔵」とも呼ばれている。
住所 京都府京都市中京区六角大宮西入
藤越神社
藤越神社は、京都府亀岡市の神社。御祭神は野椎命。家内安全・宮参り・厄除けなどにご利益があるとされています。
住所 京都府亀岡市千代川町千原安田1
玉体杉
玉体杉(ぎょくたいすぎ)は、京都府京都市左京区の比叡山山中にある巨木。西塔から横川に向かう峰道の中間付近に位置する。回峰行者がここで御所に向かって玉体加持の祈祷をするため玉体杉と呼ばれている。眼の病気などの平癒、物事の先を見通せるなどのご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区大原上野町
美御神社
美御神社 (うつくしごぜんしゃ)は、京都府京都市東山区に位置する八坂神社の末社。御祭神は多岐理比売命、多岐津比売命、市杵島比売命の宗像三女神。美人祈願で知られる。足腰の健康安全・病気ケガの回復にご利益があるとされています。
宗像三女神のうちでも、ことに際立つ美人の神が市寸島比売命である。神仏が習合していた時代は七福神の一神である弁財天(弁天様)と同じ神として崇められており、さらには美貌の女神とされる吉祥天とも習合していた。これにより、財福、芸能、美貌の神としての信仰がある。社殿前には神水が湧き出ており、肌の健康はもとより、心から美しく磨かれる「美容水」とされている。
住所 京都府京都市東山区祇園町北側
仲源寺
仲源寺(ちゅうげんじ)は、京都市東山区にある浄土宗の寺院。山号は寿福山。本尊は地蔵菩薩で、目疾(めやみ)地蔵とも称されて眼病に霊験があるとして信仰されている。また、観音堂の千手観音は洛陽三十三所観音霊場第十六番札所である。目の病気でお困りの方や健康にご利益があるとされています。
言い伝えによれば、この寺は平安時代中期の仏師定朝(?~1057年)が開山となって開かれたとも伝えられ、当初は四条橋の東北にあったとされる。鎌倉時代の1228年(安貞2年)鴨川が大雨で洪水となり、防鴨河使となった中原氏がこの地蔵尊に止雨を祈ったところ雨がやんで洪水も治まったことから、朝廷から「仲源寺」の寺号を下賜されたという。1585年(天正13年)現在の寺地へ移された。
住所 京都府京都市東山区祇園町南側585-1
本圀寺
本圀寺(ほんこくじ)は、京都府京都市山科区にある、日蓮宗の大本山。山号は大光山。勝負運や出世運にご利益があるとされています。
日蓮が鎌倉松葉ヶ谷に法華堂を構えたことから始まると伝える。日静は1345年(貞和元年)、光明天皇より寺地を賜り、六条堀川に移転した。「東の祖山」久遠寺に対し、京都に栄えた本圀寺は「西の祖山」と呼ばれている。本末解体による六百旧末寺の離散や多数の訴訟と借財により、本圀寺は荒廃して六条堀川での創建の地を売却して山科に移転した。68世貫首久村日鑒上人の発案で、金色の鯱や龍、仁王像に大梵鐘、その他金色ずくめの装飾を施した寺院となった。
住所 京都府京都市山科区御陵大岩6
伏見桃山陵
伏見桃山陵(明治天皇陵)は、京都府京都市伏見区にある明治天皇の陵。勝ち運にご利益があるとされています。
敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地で、京都に墓所が営まれたのは明治天皇の遺言によるものという。すぐ東には昭憲皇太后の伏見桃山東陵が隣接する。
住所 京都府京都市伏見区深草大亀谷安信町
満足稲荷神社
満足稲荷神社(まんぞくいなりじんじゃ)は、京都市左京区の神社。豊臣秀吉の天下統一を叶えたという由緒があり、開運・商売繁盛のご利益があるとされる。御祭神は倉稲魂命。文禄年間(1592~96)、豊臣秀吉が伏見城の守護神として伏見稲荷大社の祭神を勧請。後1693年(元禄6)現在地に遷座した。秀吉の崇敬が篤く、社名の満足の二字は、秀吉が祭神の加護にすこぶる「満足」したことに由来するとされる。境内には、樹齢400年の御神木(もちの木)や、なでると頭がよくなり、悪いところをなでると治るという「岩神さん」がある。学業成就や病気平癒のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区東大路仁王門下る東門前町527
山王宮日吉神社
山王宮日吉神社は、京都府宮津市の神社。安産・子育て・災厄除去にご利益があるとされています。式内摂社「杉末神社」から続く城下町最古の神域を有する。境内には樹齢700年を超える椎の御神木や庭園「漱玉亭」跡などがある。5月15日の例祭「山王祭」は藩祭とされ「宮津祭」と呼ばれている。
住所 京都府宮津市字宮町1376
隨心院
隨心院(ずいしんいん・ずいしんにん)は京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山の仏教寺院。小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)の開基。本尊は如意輪観音。恋文上達・縁結びにご利益があるとされています。
隨心院のある小野地区は、小野氏の根拠地とされ、隨心院は小野小町ゆかりの寺としても知られ、小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め文塚、化粧の井戸などいくつかの遺跡が残る。
住所 京都府京都市山科区小野御霊町35
花山稲荷神社
花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ)は、京都市山科区の神社。第60代醍醐天皇は御覧になった夢の中で宇迦之御魂大神の御神託を得られ、勅命によって三柱の大神を勧請されたのが創祀である。商売繁昌のご利益があるとされています。
古くは御神詠から「西山稲荷」と呼び、後に当社を厚く御崇敬になられた花山天皇の御名にちなみ「花山稲荷」と呼ばれる様になった。平安時代には刀鍛冶師の三条小鍛冶宗近が、元禄時代には大石内蔵助が、度々参詣し、どちらも目標達成したということから、心願成就の神様として信仰を集める。
住所 京都府京都市山科区西野山欠ノ上町65
十輪寺
十輪寺(じゅうりんじ)は、京都市西京区大原野小塩町にある天台宗の寺院。山号は小塩山(おしおざん)。本尊は延命地蔵菩薩。京都洛西観音霊場第三番札所。文徳天皇の皇后藤原明子が安産を祈願した寺と伝えられる。良縁成就・芸事上達・ぼけ封じのご利益があるとされています。
また、在原業平がこの寺に隠棲したと伝えられ、「業平寺(なりひらでら)」とも称される。恋仲にあった藤原高子(清和天皇の妃)との間を引き裂かれた在原業平が、藤原高子が大原野神社にお参りに来るたびに、塩焼きを行い、塩の煙にのせて慕る想いを伝え、高子もこの煙を見て愛を確かめあったといわれている。縁結びのパワースポットとしても人気。
住所 京都府京都市西京区大原野小塩町481
勝持寺
勝持寺(しょうじじ)は、京都市西京区にある天台宗の寺院。山号は小塩山。本尊は薬師如来。花の寺(はなのてら)として知られる。西国薬師四十九霊場第四十二番札所。791(延暦10)年に桓武天皇の命により最澄が創建。一説には役小角の創建ともいう。諸病平癒などにご利益があるとされています。
平安末期に西行法師がこの寺で出家し、庵を結び、一本の桜を植えて吟愛していた。これが世にいう西行桜で、この寺は「花の寺」と呼ばれるようになった。境内にはこの他約450本の桜が植えられている。勝持寺は大原野神社に隣接する。大原野神社は延暦3年(784年)、長岡京遷都時に、奈良の春日神社(現・春日大社、藤原氏の氏神)の分霊を祀ったものである。
住所 京都府京都市西京区大原野南春日町1194
蓮華寺
蓮華寺(れんげじ)は京都市左京区にある天台宗の寺院。山号は帰命山(きみょうざん)。近世初期に造営された池泉鑑賞式庭園によって知られる。
創建は1057(天喜5)年。当初は広沢池近くにあったが、音戸山山腹への移転を経て、昭和に入ってから、現在地に再建された。境内の石仏群は京都屈指のものとして知られている。
庭園の奥には水量の豊かな湧水があり、それを導いた池が庭園の中心にある。池は「水」の字の形に作られており、「水字形」と呼ばれるものである。池の右手前には舟石(ふないし)と呼ばれる石が配されている。舟石を置く庭園は稀少であるが、とりわけ蓮華寺の舟石は入舟の形をしている点でさらに珍しいものとなっている。
舟石を置く庭園のほとんどでは、出舟の形があしらわれている。出舟とは、向こう岸に理想郷(浄土)を見出し、彼岸を想念させるものである。それに対し、入舟は浄土を此岸に見出す思想を表すものである。
池の左前方には亀島と鶴石がある。大ぶりな岩石で組まれた亀島には、唐人帽丸形と呼ばれる石灯籠が据えられ、石橋で岸と繋げられている。その側面によりそうように立てられた立石によって鶴の姿があらわすのが、鶴石である。
住所 京都府京都市右京区御室大内20
磐栄稲荷宮
磐栄稲荷宮(いわさかいなりぐう)は京都府亀岡市にある神社。御祭神は宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能賣大神、田中大神、四大神。
創祀は和銅二年(七〇九)。亀岡は古くから秦氏の勢力が強い地域で、秦氏は稲荷大神を篤く信仰してをり、この西山山頂に祀つたと伝えられる。伏見稲荷大社はここから遷座したという伝承もあり、元稲荷とも言われる。
本殿の左側にある池を「磐栄稲荷宮の水」といい、龍口から水がこぼれ出ている。本殿に対面して水天宮が祀られている。
住所 京都府亀岡市下矢田町鏡岩
深泥池
深泥池(みどろがいけ、みぞろがいけ)は、京都市北区上賀茂深泥池町および狭間町にある池および湿地である。深泥ケ池とも記す。五穀豊穣、村内安全、除災守護などにご利益があるとされています。
周囲は約1540m、面積は約9.2haで、池の中央に浮島が存在する。およそ1万年前までに、池の南西部にできた開析谷(かいせきこく)の出口が、鴨川(賀茂川)の扇状地堆積物(砕屑物)によって塞き止められ、自然堤防の原型が造り上がって、深泥池の形状を保ってきたと考えられている。
室町時代の説経節『小栗判官』に大蛇が棲むという話がある。かつて近くに不治の病とされた結核の患者を隔離する病院が存在し、自殺した者がいたとされる為か、様々な怪談が伝承されている。タクシー乗客の女性が突然消えた事件が新聞で取り上げられた事もある。
住所 京都府京都市北区上賀茂深泥池町
上善寺
上善寺(じょうぜんじ)は、京都市北区にある千松山遍照院と号する浄土宗の寺院。本尊として阿弥陀仏坐像が祀られているが、この阿弥陀仏坐像は、行基作と伝えられ、寛永11年(1634年)嵯峨今林蓮華清浄寺から移してきたものである。家内安全や無病息災のご利益があるとされています。
京都六地蔵巡りの地蔵『鞍馬口地蔵』がある寺として有名であり、毎年8月の22・23日の両日には多くの参拝者で賑う。境内東側にある墓地内には「長州人首塚碑」があり、元治元年(1864年)の7月19日に起こった禁門の変において、鷹司(たかつかさ)邸附近で亡くなった長州藩士入江九一・原道太・半田門吉・奈須俊平・田村育蔵・緒方弥左衛門・小橋友之輔と無名の1人計8名を、当時堺町御門警衛隊長であった越前藩桑山十蔵が主君松平春嶽の許しを得て、越前藩菩提寺であったこの寺に葬ったものである。
住所 京都府京都市上京区南上善寺町143
法金剛院
法金剛院(ほうこんごういん)は、京都市右京区花園にある律宗の寺院である。山号を五位山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は待賢門院とされる。多くの古仏を伝え、平安時代の浄土式庭園を残す寺として知られる。花の寺としても知られているが、とりわけ蓮の名所として名高い。
住所 京都府京都市右京区花園扇野町49
大杉苑瞑想道場
大杉苑瞑想道場、大杉権現社(おおすぎごんげんしゃ)は京都府京都市左京区の鞍馬寺にある。火難除・子授安産・縁結び・病気平癒・厄除開運などにご利益があるとされています。
樹齢千年に近い杉の巨木で、「護法魔王尊影向(ごほうまおうそんようごう)の杉」として古くから尊崇されている。昭和25年の台風の影響で中ほどから折れ、現在は高さ15mほどの根幹を残す。
地表に露出した木の根が不思議なアラベスク模様をした木の根道で、幼い義経(牛若丸)がこれを取り除く鍛練をしたとの伝説が残る。
住所 京都府京都市左京区鞍馬本町
洛陽大宝山法輪寺
法輪寺(ほうりんじ)は京都市上京区にある臨済宗妙心寺派の寺院で、通称の「だるま寺」で知られる。創建当時からの本堂の他に起上り達磨堂などが並ぶ。コンクリート造の大法輪塔1階には多数のだるまを展示、2階には南太平洋方面の戦没者の位牌が英霊殿に、映画関係者がキネマ殿に、それぞれ祭祀される。
住所 京都府京都市上京区下立売通天神道西入行衛町457
江文神社
江文神社(えぶみじんじゃ)は京都府京都市左京区にある神社。毎年5月5日に例大祭が行われる。大原から静原に出る江文峠への峠道の傍らに鎮座する。
住所 京都府京都市左京区大原野村町643
永福寺
永福寺(えいふくじ)は、京都府京都市中京区にある浄土宗西山深草派の寺院で、通称蛸薬師堂(たこやくしどう)と呼ばれる。山号は浄瑠璃山。本尊は蛸薬師如来。タコ・イボ取り、病気平癒、癌封じ、心の病、厄難滅除、子授け、財産にご利益があるとされています。
養和元年(1181年)室町の林秀が、比叡山の御本尊薬師如来の夢告により与えられた伝教大師が彫られた石仏の薬師如来をおまつりした六間四面の堂を作り、永福寺と名付けられたのが始まり。善光という僧が、戒めに背き、病気の母親に好物のタコを買う孝行譚に由来し、本尊薬師如来は蛸薬師の名で知られる。
病気平癒の御祈祷で有名で、毎月8日午前10時より午後2時まで大般若会が勤修され、ガン封じや心身の病気平癒、諸願成就を祈願する人々の参拝が多い。「弁天さま御神水」「薬師の泉」と呼ばれる御神水があり、昔、病いに苦しむ人々が、この龍神水で体や家のまわりを清めると、不思議なことにたちまち病が消えうせたといわれている。
住所 京都府京都市中京区東側町503
曼殊院
曼殊院(まんしゅいん)は京都市左京区一乗寺にある天台宗の仏教寺院である。山号はなし。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は是算(ぜさん)である。
竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する。近畿三十六不動尊第十七番。
住所 京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
妙心寺
妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(かんざんえげん、無相大師)。
日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭寺院(たっちゅうじいん、子院)が建ち並び、一大寺院群を形成している。平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている。
住所 京都府京都市右京区花園妙心寺町64
杏こ庵のマリア灯篭
杏こ庵(あんこあん)は、京都府京都市の南禅寺近くにある和カフェ。日本庭園『双龍庭園』に佇むマリア灯籠が、女性の願いを叶えてくれるパワースポットと言われている。マリア灯篭と自分が入った写真を持ち歩くと、願い事が叶うという。
住所 京都府京都市左京区南禅寺草川町
大黒山北寺
大黒山北寺(だいこくさんきたでら)は京都府京都市左京区にある寺院。開運・金運のご利益があるとされています。
ご本尊が大黒天という珍しい寺院で、その前には七色に輝く「命根石」があり、これに触れて願をかけるという。スポーツ選手なども参拝に訪れるという。
住所 京都府京都市左京区大原小出石町669-1
光明院
光明院(こうみょういん)は京都市東山区にある東福寺の塔頭寺院。明徳2(1391)年、金山明昶(きんざんみんしょう)により創建されたのが始まりとされる。
方丈前庭は、重森三玲作の池泉式枯山水庭園。寺名の光明にちなみ、白砂と緑の苔に三ヵ所の三尊石組から構成され、「波心の庭」と名づけられた。サツキやツツジで雲を表現、その上に東の空から昇る月をあらわした茶亭「蘿月庵」(らげつあん)がある。
苔の緑が鮮やかになる新緑の季節が美しく、「虹の苔寺」とも呼ばれる。また、紅葉の美しさでも知られる。
住所 京都府京都市東山区本町15丁目809
最勝院高徳庵
最勝院高徳庵は京都府京都市左京区にある南禅寺塔頭。駒ヶ瀧最勝院(こまがたきさいしょういん)。境内背後の東山山峡は、鎌倉時代より「神仙佳境」と呼ばれ、霊地として知られていたという。
鎌倉時代、天台密教の駒道智大僧正が、この地に隠棲したことに始まるという。古くより勝運の神として知られた。
鎌倉時代の僧・駒道智大僧正は、法力により白馬にまたがり、生身を天空に隠したという。以来、僧正は駒大僧正と呼ばれ、奥の滝は駒ヶ滝と呼ばれるようになる。また、駒道智を祀る寺として、その院号により、最勝院と呼ばれたという。
本堂脇に、「縁結びの松」がある。樹齢300年という百日紅の木に、樹齢100年という松が生えている。住職が彫った能面の寺としても知られる。
住所 京都府京都市左京区南禅寺福地町86-2
質美八幡宮
質美八幡宮(しつみはちまんぐう)は、京都府船井郡京丹波町の神社。
約500メートルにわたって続く参道の両脇に、スギやヒノキをずらりと並んでいる。巨木郡の生育する鎮守の森として、旧瑞穂町内随一の規模を有する。
住所 京都府船井郡京丹波町質美
崇道神社
崇道神社(すどうじんじゃ)は、京都市左京区上高野にある神社である。社格は旧村社、御祭神は早良親王(崇道天皇)。
785年(延暦4年)9月長岡京造宮使であった藤原種継が暗殺された事件に連座したとされる早良親王(崇道天皇)の霊を慰めるため貞観年間(859年~877年)に創建されたという。1915年(大正4年)に近隣にあった式内社とされる出雲高野神社・伊多太神社・小野神社の3社が合祀された。
境内社として、遣隋使である小野妹子とその子小野神社を祀る小野神社、上高野最古の神社・伊多太神社、出雲高野神社がある。平将門首塚と並ぶパワースポットなのだという。
住所 京都府京都市左京区上高野西明寺山町34
金剛院
金剛院(こんごういん)は京都府舞鶴市にある真言宗東寺派の寺院。山号は鹿原山、寺号は慈恩寺。本尊は波切不動明王。
三島由紀夫の小説「金閣寺」の舞台である。 秋には、江戸時代に細川幽斎(藤孝)が鶴亀の庭とともに植樹された楓が有名で多くの参拝がある。
住所 京都府舞鶴市鹿原595
檀王法林寺
檀王法林寺(だんのうほうりんじ)は、京都市左京区の浄土宗寺院。檀王法林寺は、正式の寺名を朝陽山栴檀王院無上法林寺といい、通称「だんのうさん」と呼ばれる。望西楼了恵上人(1243-1322)の悟真寺創建にはじまる。悟真寺は、応仁の乱や天災で焼失したが、袋中上人が「檀王法林寺」として復興、その弟子である團王(だんのう)上人により基礎がきずかれ、更に念佛信仰の充実発展に努められた。袋中上人は諸国を巡り念仏の教えを極め、後に中国に渡ろうとしたが叶わずに琉球(沖縄)へたどり着かれ、そこに浄土宗を伝えている。そして帰国後、京都に上り念仏道場としたのが檀王法林寺であった。境内奥には上人を偲ぶ御廟(ごびょう)もある。地域児童のために「だん王児童館・子ども図書館」を設け、仏教福祉教育の拠点ともなっている。盗難や火災などを防いでくれるご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区法林寺門前町36
大覚寺
大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある。
時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内(大沢池や明智門など)は(特に時代劇の)映画やテレビなどの撮影によく使われている。
住所 日本京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
天橋立のパワースポットポスト
天橋立のパワースポットポスト(パワスポポスト)は京都府宮津市大のリフトケーブル府中駅前にあるポスト。このポストから手紙を出すと願いが叶うという。投函された郵便物には天橋立「昇龍観」が描かれた特別な風景印が押される。
住所 京都府宮津市大垣
道祖神社
道祖神社(どうそじんじゃ)は、京都駅の西北の大通りにはさまれた小路に、ビルと町家が共存して建ち並ぶ中にある神社。隣には、不動堂明王院がある。夫婦円満や良縁のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市下京区油小路通塩小路下る南不動堂町
綾戸國中神社
綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は、京都府京都市南区にある神社である。祇園祭は当社と八坂神社との祭礼である。
元は綾戸神社・國中神社の二社であったが、後に國中神社が綾戸神社の境内に遷された。それ以降、2つの社殿が並んでいたが、昭和9年の台風により倒壊したため、昭和11年に1つの社殿として再建した。昭和39年、境内地が東海道新幹線建設予定地にかかったため、現在地に遷座した。
社伝によれば、附近一帯が湖水に覆われていたころ、素盞嗚尊が天降って水を切り流し、その中心に愛馬の頭を彫刻したものを尊の形見として祀ったのに始まるという。
住所 京都府京都市南区久世上久世町446
六孫王神社
六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)は、京都市南区にある神社である。厄払い・厄除けや合格祈願、恋愛成就などにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市南区八条町509-2
本隆寺
本隆寺(ほんりゅうじ)は、京都府京都市上京区にある、法華宗真門流の総本山。山号は慧光山。塔頭が八院ある(是好院、玉樹院、本城院、正寿院、玉峰院、本法院、宣妙院、慶成院)。
西陣では1730年(享保15年)と1788年(天明8年)に大火があり、本隆寺も一部類焼した。1788年の天明の大火では西陣一帯が焼け野原となったが本隆寺の本堂・祖師堂・宝庫は類焼をまぬがれた。このことから「焼けずの寺」の別称がある。赤ちゃんの夜泣き止めにご利益があるとされています。
「夜泣き止めの松」がある。1532年(大永4)の元旦の朝、当山5世日諦が看経のため昇堂すると、ある婦人が乳児の養育を上人に乞い託した。乳児は夜中になると母を慕って泣くので、上人は乳児が抱いてこの松樹の周囲を巡ると、不思議なことにたちまち夜泣きが止んだ。そのことを知った人々はこの松を「夜泣き止めの松」と呼び、この木の葉を枕に敷くと夜泣きが止まる、されている。
住所 京都府京都市上京区智恵光院五辻上ル紋屋町330
水火天満宮
水火天満宮(すいかてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社である。水難火難避けの神といわれる。地元の人には「水火の天神さん」として親しまれている。出世、安産、水難と火難除けのご利益があるとされています。
延長元年(923年)、醍醐天皇の勅願により水難火難除けの守護神として延暦寺の尊意僧正に勅命があり、菅原道真の神霊を勧請し建立された。以前は同じ上京区の上天神町にあったが、堀川通の拡張に伴って1952年、現在の場所に移転した。
境内には、末社六玉稲荷をはじめとし、道真の霊が降り立ったといわれる登天石、近年出世した人が寄進した出世石、眼病に効くといわれる井戸水「金龍水」や安産の石「玉子石」がある。また元禄8年(1695年)、都への出入り口30箇所に木杭で作られたが朽ちたため享保2年(1717年)、石に作り変えられたといわれる「是より洛中荷馬口付のもの乗べからず」と記した石標もある。堀川通沿いの鳥居横には、孝学堂跡の石碑もある。これは、江戸時代に天満宮宮司の孝道が境内に開設した学問塾跡である。
住所 京都府京都市上京区堀川通上御霊前上ル扇町722-10
観音寺
観音寺は、京都府京田辺市の寺院。天武天皇の御代に創建された古刹で、桜の名所として知られる。頭に関わるご利益があるとされています。
天武天皇の勅願で義淵(ぎえん)僧正が開基、聖武天皇の願いで良弁僧正が伽藍を増築したと伝えられる。本尊の十一面観音立像(国宝)は744年(天平16)に安置。国宝に指定されている。
住所 京都府京田辺市普賢寺下大門13
麓神社
麓神社(ふもとじんじゃ)は、京都府宮津市難波野にある神社。御祭神は大鷦鷯命(おおささぎのみこと)、億計命(おけのみこと)、弘計命(おけのみこと)。億計皇子・弘計皇子が一時「余社郡」の当地へ避難した故事にちなむ。鳥居もなく社地は判然とせず、森の中に静かに佇んでいる。千躰地蔵がほど近い。
住所 京都府宮津市難波野
岩船寺
岩船寺(がんせんじ)は京都府木津川市加茂町にある真言律宗の寺院である。山号は高雄山(こうゆうざん)。本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は行基と伝える。
アジサイの名所として知られ「アジサイ寺」とも呼ばれる。岩船寺の名は門前にある岩船(いわふね)にちなむ。
住所 京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43
桂春院
桂春院(けいしゅんいん)は京都市右京区花園にある臨済宗大本山妙心寺の塔頭(たっちゅう)である。退蔵院・大心院とともに通年公開されている塔頭の1つである。
住所 京都府京都市右京区花園寺ノ中町11
興正寺
興正寺(こうしょうじ)は、京都市下京区にある浄土真宗の寺。山号は円頓山。西本願寺の南隣に位置する。
かつて西本願寺の脇門跡であったが、1876年(明治9年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となる。住職は門主の華園家。本山だけあって大きな寺であるが、壮大な西本願寺の南に隣接しているため、一見西本願寺の伽藍の一部と見まがう。また西本願寺の御影堂があまりに大きく、興正寺の伽藍が比較的小さく感じられる。
1205年(承元元年)専修念仏は停止され、宗祖である親鸞は越後に配流されたが、1211年に赦免された。寺伝によると、親鸞は赦免された翌年の1212年(建暦2年)に京都に帰り、山城国 山科郷に一宇を創建し「興正寺」と名づけたとし、その後、親鸞はこの寺を弟子の真仏上人(第二世)にまかせ、阿弥陀仏の本願をひろめるため関東行化に旅立ったとされる。
住所 京都府京都市下京区堀川七条上ル花園町70番地
光明寺
光明寺(こうみょうじ)は、京都府長岡京市粟生にある寺院。西山浄土宗の総本山である。
法然を慕い帰依した、弟子の蓮生(熊谷直実)が、建久9年(1198年)に当地に、念仏三昧堂を建立したのが始まりである。のちにここで法然の遺骸を荼毘に付し、廟堂が建てられた。法然の石棺から、まばゆい光明が発せられたという。四条天皇はそのことを聞いて、光明寺の勅額をあたえたという。
住所 京都府長岡京市粟生西条内26-1
神南備神社
神南備神社は、京都府京田辺市の神社。甘南備山に鎮座する。
甘南備山は生駒山山系の北端に位置し、標高217m。古くから「神の依りつく山」として山自体が信仰の対象となっており、平安京造営時には、北の船岡山と甘南備山とを結んだ線を基線として朱雀大路が設定されたと言われる。中腹に水晶谷という谷があり、かつては水晶が取れたという。
住所 京都府京田辺市薪甘南備山10
出雲大社巌分祠
出雲大社巌分祠(いずもおおやしろいわおぶんし)は、京都府与謝野町の神社。貴宝殿・後藤神社・白雲宮御神水所の3社からなる出雲大社の分祠。不老長寿に、祈祷殿は縁結びにご利益があるとされています。
鮮やかな朱塗りの柱が美しい貴宝殿は不老長寿に、後藤神社は縁結びにご利益があるとして広く信仰を集める。白雲宮は山から湧き出るご神水が病気平癒と長寿にご利益があるといわれている。
住所 京都府与謝野町字三河内146
相国寺
相国寺(しょうこくじ)は、京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺院。山号を万年山と称し、詳しくは「万年山相国承天禅寺」と称する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山は夢窓疎石である。足利将軍家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第2位に列せられている。
相国寺は五山文学の中心地であり、画僧周文や雪舟は相国寺の出身である。また、京都の観光名所として著名な金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)は、相国寺の境外塔頭(けいがいたっちゅう)である。
住所 京都府京都市上京区相国寺門前町701
清浄華院
清浄華院(しょうじょうけいん)は京都市上京区にある浄土宗大本山七ヶ寺の一つである。山号はない。平安時代に清和天皇の勅願により円仁が開基した。病気平癒、特に眼病、耳鼻口の病にご利益があるとされています。
住所 京都府京都市上京区北之辺町396
出雲大社京都分院
出雲大社京都分院は、京都府亀岡市にある出雲大社の分院。大国主大神(おおくにのぬしのおおかみ)の分霊を祀っていることから、縁結び・恋愛成就のご利益があるとされています。
住所 京都府亀岡市下矢田町中山37
上徳寺
上徳寺(じょうとくじ)は、京都市下京区本塩竈町にある浄土宗の寺院。山号は、塩竈山(えんそうざん)。安産と子授けのご利益があるという「世継地蔵(よつぎじぞう)」で知られる。良い世継ぎが授かるご利益があるとされています。
1603年(慶長8年)、徳川家康が阿茶局と息女の泰栄院との菩提を弔うために、伝誉一阿を開山に招請して建立したとされる。本尊は、家康が江州矢橋の鞭碕神社から移設させたと伝えられる、伝快慶作の阿弥陀如来像である。
住所 京都府京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町556
宗徳寺
宗徳寺は、京都市下京区の浄土宗寺院。応永年間(1394~1428)、行阿上人によって創建された。宝徳年間(1449~1452)、南慶和尚が紀伊より淡島神を勧請し、境内に粟神明神を祀った。これが粟嶋堂である。諸病平癒にご利益があるとされています。
「女人の一生の守り神」として古来より広く信仰され、近年では婦人病平癒や安産・子授けにお参りが多い。水子供養・人形供養でも知られる。石造弥陀板碑(室町)や蕪村の句碑が名高い。
住所 京都府京都市下京区岩上通塩小路上る三軒替地町124
阿弥陀寺
阿弥陀寺(あみだじ)は、京都市左京区大原の北側に位置する古知谷(こちだに)にある浄土宗知恩院派の寺院。山号は光明山、院号は法国院。古知谷阿弥陀寺ともいう。
1609年(慶長14年)3月、弾誓(たんぜい)上人が開山した念仏道場である。弾誓は尾張国の出身で、諸国を行脚して修行の後、この地に来た。4年後の1613年(慶長18年)5月23日、開山の弾誓は、当寺の本堂脇の巌窟内で即身仏となった。その後、弾誓のミイラ化した遺体は石棺に納められ、巌窟内の石廟に安置された。
本堂には開山弾誓の像(弾誓が自らの毛髪を埋め込んだ自作の植髪像と伝える)を本尊として安置している。浄土宗寺院では一般に阿弥陀如来を本尊とするが、当寺は阿弥陀とともに弾誓像を本尊として安置することから「弾誓仏一流本山」と称する。1721年(享保6年)2月4日には、開山の弾誓の遺徳を慕って訪れた近江国の念仏行者澄禅が、やはり即身入定を果たしている。
住所 京都府京都市左京区大原古知平町83
恵比須神社
恵比須神社(えびすじんじゃ、京都ゑびす神社)は、京都府京都市東山区の神社。
土御門天皇の建仁2年(1202)に臨済宗大本山「建仁寺」の開祖である栄西禅師によって建立された。禅師は、岡山吉備津宮の神官の出身であったと伝えられている。そのため、建仁寺の建立にあたり、まず守護神として「えびす神社」を創建してから、建仁寺の建立をしている。
また、商売繁盛の笹は元来京都・えびす神社独自の「御札」の形態が広まったもの。笹は「節目正しく真っ直ぐに伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と茂る」といった特徴から、家運隆昌、商売繁盛の象徴となった。
住所 京都府京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町125
宗旦稲荷
宗旦稲荷(そうたんいなり)は、京都市上京区の相国寺境内にある社。寺を財政難から救った白ギツネを祀っている。千利休の孫に化け、見事な点前を披露したという伝説も残っている。商売繁盛、家内安全に利益がある。家内安全、諸願成就、安産、万病平癒、学業成就などにもご利益があるとされています。
住所 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
観音寺
観音寺(かけ観音寺)は、京都市左京区の真言宗寺院。頭痛に効くほかに、智恵を授ける、認知症に効くなどのご利益があるとされています。
1159年(平治元年)、平治の乱に敗れた源頼朝公他30名の武士がこの峠から馬ごと転落した。しかし誰も負傷するとこなく事なきを得た。これを観音様のおかげだと喜んだ頼朝公は、峠の岩に観音菩薩を刻み込み、源家の再興を願ったという。
いぼ取り、痔の治癒、家内安全、商売繁盛、開運厄除けなどのご利益があると言われる。8月15日にいぼ・痔封じの流しそうめん供養が催される。
住所 京都府京都市左京区八瀬野瀬町21
繁昌神社
繁昌神社 (はんじょうじんじゃ)は、京都府京都市下京区の神社。当初は班女神社と呼ばれていた。豊臣秀吉の時代この周辺は「繁昌町」と呼ばれるようになり、いつのころからか、班女神社は繁昌神社と改名された。安芸の宮島、京都の神泉苑に祀られている弁財天と同体とされ、悪縁消滅、商売繁盛、良縁成就の御神徳があるが、未婚女性がここを訪れると結婚出来なくなるという伝承もある。
住所 京都府京都市下京区繁昌町308
三宝院
三宝院(さんぼういん)とは、京都市伏見区醍醐にある醍醐寺の院家(塔頭)。真言宗醍醐派に属し、修験道当山派本山。
住所 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
法界寺
法界寺(ほうかいじ)は、京都市伏見区日野にある真言宗醍醐派別格本山の寺院。山号を東光山と称する。本尊は薬師如来(秘仏)、開基は伝教大師最澄とされている。安産、授乳、子授などのご利益があるとされています。
藤原氏の一族である日野家の氏寺で、「日野薬師」あるいは「乳薬師」の別名で知られる薬師信仰の寺であるとともに、国宝の阿弥陀堂と阿弥陀如来像を有することでも知られる。
住所 京都府京都市伏見区日野西大道町19
宝鏡寺
宝鏡寺(ほうきょうじ)は、京都市上京区にある臨済宗の尼門跡寺。山号は西山(せいざん)。通称人形寺(にんぎょうでら)。
応安年間(1368年 – 1375年)の頃に、光厳天皇の皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)が、伊勢の二見浦にて漁網に掛かった聖観世音菩薩を祀り上げたことにより開山したと伝えられる。寺へ入った皇女へ御所から人形が贈られてきたため、多くの人形を保存している。そのため人形の寺として知られるようになり、一般からも供養として人形が納められるようになった。このことから『百々御所(どどごしょ)』とも称される。
境内には人形の供養と京人形の振興を目的として人形塚が建てられており、御所人形像と武者小路実篤の歌が刻まれている。
住所 京都府京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547-1
瑞峯院
瑞峯院(ずいほういん)は、京都府京都市北区紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)である。境内には大友宗麟夫妻の墓がある。
住所 京都府京都市北区紫野大徳寺町81
引接寺
引接寺(いんじょうじ)は、京都市上京区にある高野山真言宗に属する寺院である。一般には千本閻魔堂(せんぼん えんまどう、千本ゑんま堂)の通称で知られている。春の念仏狂言で知られる。寛仁年間(1017 – 1021年)、源信の弟弟子の定覚により開山されたと伝える。現世と冥土を行き来して閻魔王とも交流したという伝承のある小野篁(802年 – 853年)を開基に仮託する説もある。
文永10年(1273年)、明善律師によって中興された。安土桃山時代、京都に来た宣教師ルイス・フロイスの『日本史』(Historia de Iapan)中に、1565年当時の本寺の境内の様子が記されている。昭和39年(1964年)に後継者不足が原因で念仏狂言が途絶える。昭和49年(1974年)、不審火によって本堂・狂言堂が焼け、狂言衣装も焼失する。しかし、翌年には千本えんま堂狂言保存会が結成され、本堂は一般の寄進を募って修復が進められ、狂言堂も仮建築ながら再建されて、以前の西陣講中を中心としたメンバーから一般から募集したメンバーも含めた編成に推移し、復活した狂言が毎年続けられる。
住所 京都府京都市上京区千本通鞍馬口下る閻魔前町34
称念寺
称念寺(しょうねんじ)は、京都市上京区の浄土宗寺院。通称「猫寺(ねこでら)」。
1606年(慶長11)、獄誉上人が浄土宗(総本山知恩院)に属す松平信吉公の帰依をえて創建。三代目住職の頃、松平家と疎遠となり寺は荒廃していたが、ある夜、帰宅した住職が、愛猫が美姫に化身して舞うのを見て怒り、これを追放した。数日後、猫が住職の夢枕に立ち、松平家との復縁を告げたところ、寺は立派に再興した。以後、寺では猫の霊を厚く守護し、本堂前の老松は猫を偲んで植えたもので、猫が伏したさまに似ている。又、動物専用の観音堂がある。
春秋の2回合同供養祭をする。本尊お内仏来迎仏阿弥陀(ないぶつらいこうぶつあみだ)像は平安中期の高僧恵心僧都(えしんそうず)の作といわれる。
住所 京都府京都市上京区寺之内通浄福寺西入上る西熊町275
長福寺
長福寺(ちょうふくじ)は、京都市右京区梅津にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は大梅山。本尊は釈迦如来。油掛地蔵があるが、現在は油をかけることができない。
住所 京都府京都市右京区梅津中村町37
行願寺
行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある天台宗の寺院。本尊は千手観音。通称、革堂(こうどう)。西国三十三箇所第十九番札所である。
行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものとされる。行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、革堂という寺の通称はここに由来する。
また行願寺には、幽霊絵馬という絵馬がある。江戸時代の末頃、行願寺の近くにあった質屋に奉公していたお文という子守女は、聞き慣れた御詠歌を子守歌がわりに口ずさみ、子供まで御詠歌を覚えてしまった。熱心な法華信者であった質屋の主人はこれを見とがめ、お文を折檻し、死なせてしまう。あわてた主人はお文の遺体を土蔵に隠し、知らぬふりをしていた。お文の両親が行願寺で通夜を営んでいたところ、彼女の幽霊が現れ、事の次第を語ったので、真相が明らかになり、質屋の主人は捕らえられたというものである。絵馬にはお文の遺愛の手鏡がはめこまれている。
住所 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17
西岸寺
西岸寺は、油懸山地蔵院西岸寺と号する京都市伏見区の浄土宗寺院。天正18年(1590)雲海(うんかい)上人によって創建された。商売繁盛のご利益があるとされています。
地蔵堂には、俗に油懸地蔵と呼ばれる石仏の地蔵尊を安置している。寺伝によれば、むかし山崎(乙訓郡)の油商人がこの地蔵尊に油を灌(そそ)いで供養し行商に出たところ、商売が大いに栄えたといわれ、以後、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願いが叶うといわれる。
境内には、「我衣(わがきぬ)にふしみの桃のしづくせよ 芭蕉」と自然石に刻まれた句碑がある。これは、貞享2年(1685)当寺の第3世住職任口(にんく)(宝誉)上人を訪ねた芭蕉が、再会の喜びを当寺の伏見の名物であった桃にことよせて詠じたもので、碑は、文化2年(1805)に建設された。なお、地蔵堂は、明治維新の鳥羽伏見の戦いで類焼したため、昭和53年(1978)に再建された。
住所 京都府京都市伏見区下油掛町898
染殿院
染殿院(染殿地蔵院)は、京都市中京区の寺院。安産・子宝などにご利益があるとされています。
文徳天皇(850~858年在位)の后藤原明子(藤原良房の息女)は天皇より一手に籠愛を受けたが、皇子が授からなかった。そこで、染殿地蔵に十七日間願かけを行ったところ、満願の日に懐妊の兆候があり、その後、男の子を出産することが出来た。ここから、安産の御利益のある地蔵尊として知られるようになった。染色関係者の参拝も多い。
住所 京都府京都市中京区新京極通四条上る中之町562
粟田神社
粟田神社(あわたじんじゃ)は京都府京都市東山区粟田口鍛冶町にある神社。10月の体育の日前日に行われる夜渡り神事、体育の日に行われる神幸祭、15日に行われる例大祭を総称して粟田祭(あわたまつり)、粟田神社大祭(あわたじんじゃたいさい)と呼ばれる。神幸祭に巡行する剣鉾(けんぼこ)は祇園祭の山鉾の原形といわれている。
住所 京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1
退蔵院
退蔵院(たいぞういん)は京都市右京区花園にある臨済宗大本山妙心寺の塔頭(たっちゅう)である。初期水墨画の代表作である国宝・瓢鮎図(ひょうねんず)を所蔵することで知られる。
住所 京都府京都市右京区花園妙心寺町35
西福寺
西福寺は、京都市東山区の寺院。弘法大師が自ら土でつくった六波羅地蔵を安置したことに始まる古刹。檀林皇后が皇子(のちの仁明天皇)の病気平癒を祈願したことから、子育て地蔵として信仰を集める。夫婦円満のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町81
安祥院
安祥院(あんしょういん)は、京都市東山区の浄土宗寺院。天慶5年(942年)に尊意が乙訓郡に創建した護国院が始まり。
境内には、参詣者が自ら日数を決めて祈願すれば願いが叶うとされる日限地蔵(ひぎりじぞう)通称・日限さん(ひぎりさん)が安置されている。本堂の阿弥陀如来は京都六阿弥陀の1つ。境内にある山桜は平成16年3月に京都市の保存樹に指定される。
住所 京都府京都市東山区五条通東大路東入遊行前町560
剣神社
剣神社(つるぎじんじゃ)通称「つるぎさん」は、京都市東山区の神社。東山の音無川と今熊野川の合流点近くに位置し、瓊々杵命と白山姫命を祭る。中世は泉涌寺の守り神であったという。現在は今熊野一帯の産土神で、とくに子供の疳虫除け祈願で知られる。
住所 京都府京都市東山区今熊野剣宮町13
即成院
即成院(そくじょういん)は、京都府京都市東山区にある真言宗の寺院。真言宗泉涌寺派総本山・泉涌寺の山内にある塔頭(たっちゅう)である。山号は光明山。通称は那須の与一さん。
毎年10月に行われる「二十五菩薩練供養」の行事で知られ、山内には那須与一の墓がある。
住所 京都府京都市東山区泉涌寺山内町28
戒光寺
戒光寺(かいこうじ)は、京都市東山区の寺院。泉涌寺七福神二番弁財天。鎌倉時代に雲照律師が建立したとされる。
本尊の釈迦如来が丈六(六尺)丈六あることから、「丈六さん(じょうろくさん)」親しまれる。また、「身代わり丈六さん」とも呼ばれ、首から上の病や胃等の御祈祷でも知られる。新撰組隊士伊東、藤堂らの墓がある。
住所 京都府京都市東山区泉涌寺山内町29
観音寺
観音寺(かんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)とも称される。山号は新那智山。本尊は十一面観音(秘仏)。西国三十三箇所第十五番札所、神仏霊場巡拝の道(神仏霊場会)百二十二番(京都四十二番)霊場、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、京都七福神えびす神奉祀 。大同年間(806年~810年)空海が庵を結んだのに始まるとされる。
住所 京都府京都市東山区泉涌寺山内町32
同聚院
同聚院は、臨済宗東福寺派に属し、東福寺塔頭(たっちゅう)の一つである。室町時代中期の文安年間(1444-1448)に東福寺第129世が開山した塔頭で、定朝の父・康尚の作といわれる本尊・不動明王坐像(重文)は、寛弘3年(1006年)に藤原道長が旧法性寺に建立した五大堂の中尊と伝える。
世に「じゅうまん不動(じゅうまんふどう)」と称され毎年2月2日「じゅうまん」の字を書いた屋守護が施与される。「じゅうまん」は「土力」(土地の守護)又は「十万」(十万の眷属(けんぞく)を従える)の2字を一字にした文字といわれ、火災除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。
住所 京都府京都市東山区本町15丁目799
正覚庵
正覚庵(しょうかくあん)は、京都市東山区の東福寺塔頭。「筆の寺」として知られる。
正応三年(1290)に東福寺五世山叟恵雲を開山として、鎌倉時代の武将で奥州・伊達政宗の先祖である伊達政依によって創建された。本尊釈迦如来。所蔵する「絹本著色山叟恵雲像」は国の重要文化財に指定されている。境内に江戸時代後期の文化年間(1804-18)に築造された「筆塚」がある。毎年11月23日に使用済みの筆記具を供養する「筆供養」が行われている。
住所 京都府京都市東山区本町15丁目808
三宅八幡神社
三宅八幡神社(みやけはちまんじんじゃ)京都市左京区の神社。祭神は応神天皇。通称「虫八幡」。推古天皇の時代、小野妹子が遣隋使として筑紫を過ぎる時、病に罹ったので宇佐八幡に祈願をこめたところ、直ちに平癒したので、帰朝後、宇佐八幡を勧請したのがこの社の起源であるといわれる。供の疳の虫除けの神として幕末期より崇敬を集めており、9月15日に行われる例祭には子供連れの参詣者で大いに賑わう。夜泣き、安産、学業成就のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市左京区上高野三宅町22
大蓮寺
大蓮寺(だいれんじ)は、京都市左京区にある浄土宗の寺院。山号は引接山。院号は極楽院。本尊は阿弥陀如来。開基は専蓮社深誉上人。後光明天皇が当寺に夫人の安産祈願を命じたことから、通称「安産祈願の寺」として知られる。足腰健康のご利益があるとされています。
本尊阿弥陀如来の他に札所本尊として十一面観音を安置し、洛陽三十三観音霊場第8番札所となっている。また、明治から大正にかけて、当寺の18世住職で金戒光明寺65世法主芳井教岸の直弟子籏玄教(はたげんきょう)は「走り坊主」の通称で知られ、奇行や貧困層に対する施しは、京都名物として有名で、大正7年の新聞紙面で「今一休」とたたえられている。
伝承によると、慶長5年のある日、深誉は伏見の地で金色に輝く阿弥陀如来を見出し、誰も供養する者がないことをもったいなく思い、持ち帰って五条に仏堂を建て安置した。後に、この阿弥陀如来は真如堂(真正極楽寺)の阿弥陀如来であることがわかり返還することになる。残念に思った深誉が二十一日間の念仏を修したところ、最後の夜に旅の僧があらわれ共に念仏するが、次の朝には旅の僧の姿はなく、本尊阿弥陀如来が二体になっていた。そのうちの一体を本尊として安置したのが大蓮寺であるという。
その後、後光明天皇の夫人である典侍庭田秀子が難産に苦しんでいたため、大蓮寺に安産祈願の勅命が下った。祈願の甲斐あって第一皇女の孝子内親王は無事出生。同内親王は大蓮寺を深く信仰し、後に髪を編んで名号として同寺に納めた。
住所 京都府京都市左京区西寺町通二条下る正往寺町457
岩屋神社
岩屋神社(いわやじんじゃ)は、京都府京都市山科区にある神社である。天忍穂耳命と栲幡千々姫命、および両神の子の饒速日命を祀る。開運・厄除けのご利益があるとされています。
本殿背後の山腹に奥之院あるいは岩屋殿と呼ばれる陰陽2つの巨巌があり、これを磐座として祀ったのが当社の起源である。陰岩に溜った水は霊水とされる。男性は陰岩から、女性は陽岩から参拝すれば、恋人が見つかるといわれる。恋のパワースポット。
住所 京都府京都市山科区大宅中小路町67
等持院
等持院(とうじいん)は、京都府京都市北区 (京都市) 北区にある寺で臨済宗天龍寺派に属する。足利尊氏の墓所としても知られる。
足利尊氏は、1341年(暦応2年)に現在の柳馬場御池付近に等持寺を建立し、その二年後の1343年、現在の等持院北町に別院北等持寺を建立した。尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を「等持院」と改称した。その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった現在の等持院(京都市北区等寺院北町)が本寺になった。
作家の水上勉は小坊主としてこの寺に寄宿していた。その当時の住職は栂道節で、京都商業高校にいた沢村栄治を読売の市岡忠男に紹介した、というエピソードが残っている。
住所 京都府京都市北区等持院北町63
瑞光寺
瑞光寺(ずいこうじ)は、京都市伏見区にある日蓮宗の寺。元政庵(げんせいあん)とも称される。山号は深草山。日蓮宗身延山久遠寺派。
1655年(明暦1)元政が草庵を結んだのが起こり。寛文年間(1661-73)に堂舎を建立、法華道場となった。元政の出家は、江戸吉原の高尾太夫の死によるというエピソードから縁切り祈願の信仰がある。南蛮人蒔絵交椅、大般若経第二四六(いずれも重文)などを所蔵する。大晦日には除夜の鐘をつくことができ、24:00ごろからつき始める。
住所 京都府京都市伏見区深草坊町4
東丸神社
東丸神社(あずままろじんじゃ)は、京都市伏見区の神社。江戸時代の国学者、荷田春満(かだのあずままろ)を祀る。1883年(明治16)春満に正四位が贈られたのを記念して社殿を造営、創祀された。1936年(昭和11年)に現本殿に改造営される。以来「学問向上、受験合格」の神として広く崇敬される。勉学向上や受験合格にご利益があるとされています。
住所 京都府京都市伏見区深草藪之内町36
乃木神社
乃木神社(のぎじんじゃ)は、京都市伏見区の伏見桃山陵(明治天皇陵)の麓にある神社である。明治天皇崩御の際に殉死した乃木希典を祀る。大正5年(1916年)9月に創建された。建立の中心となった村野山人は薩摩藩(鹿児島県)出身で、豊州の門司鉄道をはじめ、摂津、山陽、南海、京阪等の各鉄道の取締役を歴任した人物である。明治天皇の大葬の際、京阪電車の会社代表として参列。その場において乃木夫妻の殉死を聞いて強い衝撃と感銘を受けた。そして、乃木希典の1周忌に会社の職を辞し私財を投じて、乃木将軍の人となり・日本人の心を後世に伝えることに尽くそうと考え、明治天皇の陵の麓に神社を立てた。勝ち運にご利益があるとされています。
住所 京都府京都市伏見区桃山町板倉周防32-2
北向山不動院
北向山不動院(きたむきざんふどういん)は、京都市伏見区の天台宗寺院。北向不動の名で親しまれている。大治五年(1130)、鳥羽上皇の勅願により鳥羽離宮内に創建され、興教(こうきょう)大師を開山としたのが当寺の起こりである。大師が自ら仏師康助に刻ませた不動明王(重要文化財)を、王城鎮護のため北向に安置したことから、上皇より北向山不動院の名を賜ったといわれる。境内の鐘楼はニ品済深親王(にほんざいしんしんのう)の銘があり、梵鐘は元禄7年(1694)名士名越浄味により鋳造された。
住所 京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町61
還来神社
還来神社 (もどろきじんじゃ)は、京都府京都市右京区の神社。御祭神は淳和天皇の皇后・正子内親王。貞観16年、内親王が火事に見舞われた時、無事に逃げ戻ってくることができたことから、「還来の大神」と称えられた。物事全てを元に戻すという意味から、旅行安全・健康快復にご利益があるとされる。旅の安全を祈る「わらじ奉納」の慣わしがある。また旅に出る前に、社の前にある神石「椰石(なぎいし)」を撫でて、「無事息災、還来成就」を祈願する風習もある。
住所 京都府京都市右京区西院春日町61
平岡八幡宮
平岡八幡宮は、京都市右京区の神社。神護寺の守護神として、弘法大師(空海)により809年(大同4年)に創建された、山城国最古の八幡宮。弘法大師が自ら描いた僧形八幡神像を御神体とする。1407年(応永14年)に、社殿を消失するが、足利義満により再建。44種類の花が描かれた「花天井」が有名。春、秋の2期公開される。また、境内では樹齢300年を超える紅椿、白椿伝説の樹齢200年白椿など約200種を鑑賞できる。勝運・財運・出世・音楽・芸能のご利益があるとされています。
住所 京都府京都市右京区梅ケ畑宮ノ口町23
油掛地蔵
油掛地蔵は、京都市右京区の掛町の辻堂にある石造阿弥陀坐像。油をかけて祈願すると諸願成就するという。油掛地蔵は、他に京都市内の長福寺や西岸寺にある他、奈良にも存在する。
住所 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺油掛町30
佛光寺
佛光寺(ぶっこうじ)は、京都市下京区にある浄土真宗の寺。山号は渋谷(汁谷)山。真宗佛光寺派の本山。
京都渋谷に寺基があった頃(1300年代後半~1400年代前半)は同じ浄土真宗の本願寺を大いにしのぐ勢力があった。通常は「仏光寺」と表記されるが、正しくは寺名・派名ともに「佛光寺」である。
1205年(承元元年)専修念仏は停止され、宗祖親鸞は越後国に配流された。寺伝によると、親鸞は赦免の翌年の1212年(建暦2年)に京都に帰り、山城国山科郷に一宇を創建し、順徳天皇より聖徳太子にまつわる「興隆正法」の勅願を賜り、「興正寺」(興隆正法寺)と名づけた。これが後の佛光寺で、親鸞はこの寺を弟子の真仏(第2世。近年の研究で高田専修寺の真仏とは別人の平太郎入道とされる)にまかせ、その後、阿弥陀仏の本願をひろめるため関東行化に旅立ったとされる。
住所 京都府京都市下京区高倉通仏光寺下ル新開町397番地
法観寺
法観寺(ほうかんじ)は京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は霊応山。
観音霊場として知られる清水寺の近隣に位置する。街中にそびえ立つ五重塔は通称「八坂の塔」と呼ばれ、周辺のランドマークとなっている。境内は狭く、塔以外に目だった建築物がないことから、「八坂の塔」は、寺自体を指す通称ともなっている。
伝承によれば、当寺の五重塔は592年聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際、仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという。聖徳太子創建との伝承は文字通りに受け取ることはできないが、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かなようであり、朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力である。
住所 京都府京都市東山区清水八坂上町388
方広寺
方広寺(ほうこうじ)は、京都市東山区にある天台宗の寺院。豊臣秀吉により建立された。大日如来、大黒天を祀る。開運などにご利益があるとされています。
住所 京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2
法住寺
法住寺(ほうじゅうじ)は日本の京都市東山区にある天台宗の仏教寺院である。
平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。
寺内の『身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)』像は、平安期の作風とされる。この不動像は寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かった。義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれる。
住所 京都府京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655
本法寺
本法寺(ほんぽうじ)は、京都府京都市上京区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は叡昌山。塔頭が三院ある(尊陽院、教行院、教蔵院)。
住所 京都府京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町617
大黒寺
大黒寺(だいこくじ)は、京都府京都市伏見区鷹匠町にある、真言宗東寺派の寺院である。通称は薩摩寺(さつまでら)。初めは真言宗の寺で、「長福寺」であった。金運・出世・子孫繁栄などにご利益があるとされています。
元和元年(1615年)、薩摩藩主島津義弘の守り本尊「出生大黒天」に因み、薩摩藩の祈祷所として、大黒天を本尊に寺名を改名した。本尊の出世大黒天は秘仏で、弘法大師空海の作と言われ、甲子の年に開帳される。毎月1日にお水が、15日には護摩が焚かれる。
境内に湧く「金運清水」は、2001年(平成13)に新しく掘られた井戸水だが、出世大黒天に供えられる霊験あらたかな水とされ、金運良好、資産増加、厨房守護、子孫繁栄などのご利益があるといわれている。西郷隆盛、大久保利通の会談の部屋、ゆかりの書や歌、肖像なども保存されている。
住所 京都府京都市伏見区鷹匠町4
誓願寺
誓願寺(せいがんじ)は、京都市中京区新京極通にある寺院。浄土宗西山深草派の総本山である。本尊は阿弥陀如来、依拠の経典は浄土三部経である。女人往生や芸術上達などのご利益があるとされています
天智天皇6年(667年)、天皇の勅願により奈良に創建。平安遷都後、西山上人証空の弟子円空(1213年-1284年)が京都の深草に寺を建て布教したのが始まりである。日本各地に無住の寺を含めて400か寺余りの末寺がある。
門前に「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石がある。落し物や迷い子の時は、この石にお願いすると探しているものが見つかるといわれている。「教える方」と「尋ねる方」があり、落し物や迷い子を捜す人は「尋ねる方」と書かれた下に、拾ったり、見つけりした人は「教える方」と書かれた下に、お願いしたいことを紙に書いて貼っておく。
住所 京都府京都市中京区新京極通三条下ル桜之町453番地
円徳院
円徳院(えんとくいん、圓德院)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派・高台寺の塔頭のひとつ。本尊は釈迦如来。開基は三江紹益。豊臣秀吉の正室・北政所(高台院)が晩年の19年間に自身の本拠地としたことで知られるほか、一説にはその終焉の地ともいう。出世のご利益があるとされています。
安置されている三面大黒天は秀吉の念持仏と伝わるもの。また小堀遠州が整えた北庭は、旧円徳院庭園(きゅう えんとくいん ていえん)として国の名勝に指定されているほか、長谷川等伯の筆による襖32面の墨画は、旧三玄院襖絵(山水図襖)(きゅう さんげんいん ふすまえ(さんすいず ふすま))として国の重要文化財に指定されている。
三面大黒天のある表門の左に、七福神の一人、福の神として知られる大黒天が安置されている。この大黒様にお香を供え、直接撫でると夢が叶うとされている。右手または両手で撫でると金運が上がるという。
住所 京都府京都市東山区下河原町530
西院春日神社
西院春日神社(さいいんかすがじんじゃ)は、京都市右京区にある神社である。旧社格は村社。春日神(建御賀豆智命・伊波比主命・天児屋根命・比売神)を祀る。病気平癒・災難厄除 交通・旅行安全などにご利益があるとされています。
淳和天皇が退位に伴い淳和院離宮(別名西院・この付近の地名である西院の由来となった)へ居を移すに際し、天長10年(833年)にその守護社として創建された。付近では当時の淳和院の遺構が発掘されており、規模の大きな離宮であったことが判明している。
境内社である還来神社(もどろきじんじゃ)は、還来大神として知られており、旅行の安全にご利益があるとされる。また先の大戦中には、出征兵士の無事帰還を願う家族が多数訪れたという。
還来神社の神前には神石「梛石(なぎいし)」があり、この「椰石」を旅行する人が往きに還りに撫で、「無事息災、還来成就」を祈願する風習がある。また病弱な人がこの石を撫でたその手で患部を撫で、健康回復を祈願されることから「撫石」とも呼ばれる。
境内には、日清戦争以降の戦争における西院地区の戦没者を祀る招魂碑が建てられている。元は明治34年(1901年)に京福西院駅付近に建てられたものが昭和3年(1928年)に境内へ移設され、後に碑の石を改築したものである。
住所 京都府京都市右京区西院春日町61
寿延寺
寿延寺は京都府京都市東山区にある日蓮宗寺院。山梨県身延の身延久遠寺を祖山に仰ぐ。元、誕生寺(千葉県小湊)の末寺。諸病平癒などにご利益があるとされています。
創建は1616年(元和2)。開山は円乗院日柔上人。本堂には、中央に一塔両尊(釈迦如来・多宝如来)。日蓮上人、脇には四大菩薩、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)、その他諸尊を祀っている。本堂右奥には傳教大師作と伝えられる、油涌(あぶらわき)大黒天を祀り、門前から南へ続く現在の大黒町通の名称の由来となっている。
参道には、洗心殿があり、浄行菩薩の石像を祀る。「洗地蔵(あらいじぞう)」として親しまれている。浄行菩薩は釈迦が末法に使わされた四大菩薩の一人で、水徳の仏。水を掛けて祈ることで病気や心の悩みが洗われるという。
また当地は十禅師の森の旧跡であり、参道には地主十禅大明神を祀っている。境内中庭には、五条大橋旧跡の碑がある。6月1日、浄行大菩薩大祭。2月3日、節分星祭祈願読誦会。
住所 京都府京都市東山区大黒町通松原下る北御門町254
龍源院
龍源院(りょうげんいん)は京都府京都市北区紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)である。大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵とされている。
住所 京都府京都市北区紫野大徳寺町82-1
霊雲院
霊雲院(れいうんいん)は、京都府京都市東山区にある臨済宗東福寺派の寺院で東福寺の塔頭である。
住所 京都府京都市東山区本町15丁目801
盧山寺
盧山寺(ろざんじ)は、京都市上京区の寺院。正式には廬山天台講寺。金運アップのご利益があるとされています。
天慶元年(938)に元三大師(慈恵大師)により船岡山に創建、元亀二年(1571)に織田信長の焼き打ちをまぬがれ、現在地に移された。紫式部の邸宅跡と言われる。
住所 京都府京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
ポルチェリーノ
ポルチェリーノは京都府京都市中京区の京都ホテルオークラにある幸運を招くと言われる猪の像。半地下のやや分かりにくい場所にある。
ポルチェリーノのオリジナルは、イタリアの著名な彫刻家ピエトロ・タッカ氏によるもので、フィレンツェのメルカートヌオヴォ広場(新市場)に1612年以来飾られている。鼻の頭をなでると幸運を招くと言われ、世界中にレプリカがある。
住所 京都府京都市中京区一之船入町
祐正寺
祐正寺は、京都市上京区の寺院。浄土宗大本山百万遍知恩寺の末寺で、創建は慶長7(1602)年。
昔から、お参りすると良い妻を娶ることが出来るとされ、「娶妻結地蔵(つまとりじぞう)」の呼び名で親しまれる。男性向けの恋のパワースポット。祐正寺の枝垂れ梅も有名。
住所 京都市上京区下立売七本松東入ル
繭気属性から相性の良いパワースポットを探すことができます。